沖縄の日本復帰前、米石油メジャーの沖縄進出を阻もうと、当時の総理府の付属機関・那覇日本政府南方連絡事務所(南連)が琉球政府にかけた「圧力」の実態が、南連と外務省の間で交わされた電報に記録されている。南連の高杉幹二所長が1968年1月22日に外務省へ宛てた電報に「本使13日行政副主席(小渡三郎)を往訪し、(米石油メジャーの)ガルフ社の許可が決定される現時点において重ねて本土政府の石油政策を説明し、これを尊重してもらいたいと申し入れた」と記されていた。
◆各社に異例の通告も
この電報では、琉球政府が既に外資免許を交付したガルフ社以外の米石油外資3社(カイザー、エッソ、カルテックス)の申請について、小渡副主席は「日本政府の希望条件を考慮して決定したい」と申請を許可しない姿勢を見せたと記述している。ただ、当時の松岡政保主席は残り3社も許可したい意向を持っていて、「苦慮しているので4社全部許可する可能性もないわけではない」とした。
琉球政府は日本政府の圧力にもかかわらず、残りの3社の外資免許も交付した。自らの主張が受け入られなかった日本政府は、米石油メジャー4社の在日首脳を通商産業省(現経済産業省)に呼び出し、将来沖縄が返還された場合、日本の石油政策を適用するなどと通告した。施政権の及ばない沖縄に進出する米国企業に直接通告する極めて異例の措置で、結果、ガルフとエッソは投資計画を縮小し、カルテックスとカイザーは沖縄進出を断念した。
1967~68年にかけての「極秘」を含む一連の電報は、我部政明琉球大名誉教授が外交史料館から入手し、インターネット上の沖縄関係外交史料館資料データベースで公開している。日本政府が外資進出の申請書や免許の複写、関係者の講演録なども含めて琉球政府側の情報を緻密に収集していた実態がうかがえる。
沖縄の日本復帰時、通産省で外資政策に関わった自民党の細田博之氏は本紙のインタビューで「石油資本に支配されるという危機感があった」と語っていた。
南連は68年5月に日本政府沖縄事務所に格上げとなり、復帰事務を担った。
(梅田正覚)