[日曜の風・浜矩子氏]怒り、祈り、そして惑う 8月15日


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浜矩子 同志社大・大学院教授

 8月15日は筆者にとって三つの意味で特別の日だ。日本人だから。カトリック信者だから。エコノミストだから。

 日本人としての筆者にとって、8月15日は終戦記念日だ。筆者自身に戦争体験があるわけではない。だが、幼い頃から母に話を聞かされてきた。終戦後、母は日本という国に自分がいかにだまされてきたかを知って、限りなき怒りに打ち震えたと言う。今なお、胸がうずかずしてひめゆりの塔に思いをはせることができないと言う。終戦記念日に向かって増えるテレビの特集番組などを見ている時、母の脳裏をどんな思いが去来しているか、筆者には確実に分かる。

 カトリック信者としての筆者にとって、8月15日は聖母マリアの被昇天の日だ。聖母マリアはイエス・キリストのお母さまである。その昇天の記念日だ。この日が終戦記念日でもあるということについて、毎年、母と2人で深い感慨を共有する。

 くしくも日本軍による真珠湾攻撃の日、12月8日は聖母マリアの無原罪の御宿りの祝日だ。神の子の母となる彼女は全ての人間が抱いて生まれる原罪なき状態で誕生した。それを祝うのがこの日だ。最初から最後まで、あの大戦下の不幸な日本人たちのためにマリア様が祈り続けてくださっていた。そう思える。

 エコノミストとしての筆者にとって、8月15日はニクソンショックの日だ。今年の8月15日はその50周年に当たる。1971年8月15日、当時のニクソン米大統領が、ドルの金交換停止を宣言した。

 それまでのドルは、唯一、金との交換性を有する通貨だった。他の国々の政府や中央銀行から、手持ちのドルの金交換を請求されれば、無条件で応じる。それが保証されている唯一の通貨がドルだったのである。かくして、通貨の太陽系において、ドルは太陽の位置付けにあった。

 だが、1971年8月15日をもって、ドルはもはや太陽通貨ではなくなった。そして今、グローバル経済には太陽通貨がない。代わってデジタル通貨というあやしげなものが出現している。ニクソンショック100周年の時、グローバル経済の通貨的風景はどのようになっているだろう。

(浜矩子、同志社大・大学院教授)