マラリアが猛威、死者続出 本田昭正さん 島の戦争(8)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
波照間島の海岸線。島でマラリアがまん延し、死者が続出した=2017年

 西表島の南風見や由布島に疎開していた波照間島の住民は1945年8月までに島へ帰ります。本田昭正さん(86)=浦添市=は荒れ果てた島の姿を目の当たりにします。波照間島内でもマラリアが猛威を振るいます。

 《4カ月ぶりの島は、道路から屋敷まで雑草に覆われ、畑も荒れて食料もなかった。また、疎開地で感染したマラリアで患者が続出し、無病地帯だった波照間島の蚊もマラリアを媒介した。由布組は疎開地ではマラリア患者はいなかったが、帰島後マラリアに感染して、結局島の人全員が発病した。》

 島では死者が続出します。本田さんも一日おきに発熱する「三日熱マラリア」にかかり、高熱に苦しみます。

 《家族全員が高熱で倒れ、看病する人もなく、一家全滅や1人だけ生き残った家があった。死者が出ても葬ることができないなど地獄のような状況が現出した。墓は遺体であふれ、掘りやすい海岸の砂丘が埋葬地となった。

 キニーネなどの薬はなく、熱が出ても芭蕉の茎を枕にして、水を掛けて頭を冷やすことしか対処法はなかった。私も三日熱マラリアにかかり、庭に飛び出したりした。》

 住民に疎開を命じた山下虎雄軍曹は10月、民間人に紛れて、島を離れます。戦争が終わった後も島の悲劇が続きます。