「必ず3着に入ってこい」。27日朝、選手村。同部屋の盟友に強く背中を押され、上与那原寛和は大舞台へ向かった。声の主は北京大会400メートル金メダリストで、合宿などで長らく共に鍛錬を積んできた8歳年上の伊藤智也(バイエル薬品)。伊藤が開幕直前に一つ軽いクラスに変更になり、メダル獲得が厳しくなったことを本人から聞いた時、ショックで涙を流したという上与那原。「切磋琢磨(せっさたくま)しながら、改善点を見てもらってきた」。メダル獲得への決意をより強くした。
迎えた決勝。上与那原は中央の5レーンに付いた。狙うは世界記録保持者の佐藤友祈(モリサワ)とリオ大会覇者のレイモンド・マーティン(米国)に続く3着。ハンドリム(車輪の持ち手)に手を添えて前かがみになり、伊藤から授かったレース戦略を思い描く。「スタートから前半200メートルまででトップスピードまでは上げ切らず、最後まで高い速度を保つ」
号砲と同時に、優勝候補2人が飛び出した。想定通り。3番手を争う隣6レーンの米国選手にじわじわと迫り、コーナーの立ち上がりで前に出た。最終100メートルの直線。脇目も振らずに車輪を回す。「彼(伊藤)の指示は的確。しっかり守った」と最後まで減速幅を抑え、4位を突き放して3位を守った。
レース直後、友の無念を思い、声を詰まらせた。一緒に東京の晴れ舞台を駆け抜けることができなかった。3大会ぶりに得た勲章にも「うれしい部分、寂しい部分がある」と本音を漏らす。それでも「伊藤さんとチームでやってきた。それが良かった」とにこり。2人でつかみ取った栄冠に表情を崩した。
ロンドン大会の400メートルは3位でゴールしたがラインを踏んで失格となり、リオ大会1500メートルでは3位と100分の8秒という薄氷差で表彰台を逃した。「これまでの経験は全て生きている」と話すベテランは、大舞台にも冷静だった。
挑戦はまだ終わらない。29日には本命の1500メートルに出走する。「全力で走るだけ。良い色を目指したい」。酸いも甘いも経験してきた50歳の鉄人レーサーが、勢いそのままにもう一つの快挙達成へとひた走る。
(長嶺真輝)
<略歴>
うえよなばる・ひろかず 1971年5月22日生まれ。沖縄市出身。28歳の時に交通事故で頸椎(けいつい)を損傷し、首から下にまひを抱えた。31歳で車いす陸上を開始。パラリンピック初出場だった2008年の北京大会のフルマラソンで銀を獲得し、県民栄誉賞を受賞。自身のクラスでマラソンがなくなり、ロンドン、リオでは短・中距離のトラック種目に出場。クラスはT52。Tはトラックを意味する。数字の2桁目は障害の種類と競技形式を表し、5はせき髄損傷によるまひや切断による車いす使用、投てきの座位など。1桁目は障害の度合いを表し、数字が小さいほど重い。