死刑→重労働45年「減刑は権限逸脱」 大統領決裁に軍法務部が抗議 55年の由美子ちゃん事件


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米軍法務部が1960年にホワイトハウスに宛てた文書。由美子ちゃん事件で死刑判決を受けた軍曹を減刑した大統領裁決について「defective(欠陥がある)」と指摘している(高内悠貴氏提供)

 米統治下の1955年に6歳の女児が米軍曹に暴行、殺害された「由美子ちゃん事件」について、犯人の軍曹が受けた死刑判決を重労働45年に減刑したアイゼンハワー大統領の裁決後、軍の法務部が「減刑は大統領の権限を逸脱している」とホワイトハウスに抗議していたことが分かった。米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校歴史学部博士課程の大学院生、高内悠貴氏が軍属に関する記録を米国立公文書記録管理局から入手し、判明した。

 事件は55年9月3日に発生。同年12月、米軍キャンプ瑞慶覧で一般軍事法廷が開かれ、暴行致死の罪で死刑が言い渡された。58年10月の軍事上訴裁判所も軍曹の上訴を退け、死刑を宣告した。ところが、アイゼンハワー大統領は60年6月1日付で軍曹の減刑を決定した。軍曹が減刑されるまでの流れは、これまでの報道で明らかになっていた。

 高内さんが入手した資料は、軍曹の請求を却下した再審委員会の記録や、軍曹の減刑を決めた大統領の行動に関する文書、軍法務部によって作成された文書、家族からの陳情書など。軍法務部の抗議文書は、大統領裁決が出た9日後の60年6月10日付で、大統領裁決について「憲法上認められているのは死刑執行の承認か延期、恩赦のみであり、減刑は権限を逸脱している」などと指摘し、過ちが永続化しないための措置を求めた。抗議後も減刑判断が覆ることはなかった。

 高内さんによると、軍の最高司令官である大統領が刑の執行権限を持っているため、再審が却下された軍曹の家族や退役軍人会は、軍曹の出身地であるケンタッキー州選出の上院、下院の議員に働き掛け「沖縄人の反米感情の犠牲になった」などと主張し、ホワイトハウスに減刑を陳情していた。この陳情が大統領の減刑判断につながったとみられる。

 大統領の権限に関する憲法解釈については、別の裁判で問われ、74年に権限を認める判決が出た。現在、大統領が減刑する例は多く見られるが、由美子ちゃん事件当時はそのような憲法解釈がなかった。

 アイゼンハワー大統領の裁決は仮釈放なしの重労働45年だったが、77年1月にはフォード大統領が仮釈放を与え、軍曹は刑務所を出所していたことも別の文献で分かった。

 この事件の6日後に県内で発生した、9歳女児に対する暴行事件の軍法会議では、黒人兵が終身刑の判決を受け、減刑はなかった。高内さんは「黒人に対する差別が現れている」と指摘した。 (稲福政俊)