米軍、平安座島などへ移動命令 根保幸德さん 島の戦争(19)<読者と刻む沖縄戦>


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宮城島で軍票を使って初めて買い物をする米兵=1945年4月(沖縄県公文書館所蔵)

 1945年4月3日、宮城島に上陸し、4日に駐屯を始めた米軍の投降呼び掛けに住民は応じ、家に戻ります。根保幸德さん(87)=うるま市=の家族も落ち着いた生活を取り戻しました。子どもたちは米兵になつくようになり、お菓子をねだります。

 《米軍が再上陸して2、3日すると、子どもたちは米兵の後を追い掛け「ギブミー チョコ」とお菓子をねだっていた。沖縄本島では地上戦の最中、米兵は集落内にも入って、たばことニワトリの卵を交換したりして、住民と親しくしていた。

 夜は島の高台に上がって、津堅島や本島南部への艦砲射撃を見る余裕さえあった。》

 宮城島に上陸した米兵が軍票を使って島の住民から買い物する様子をとらえた米軍撮影の写真が残されています。一方、津堅島では住民を巻き込んだ激しい地上戦が起きています。

 根保さんは「米兵の腕にぶら下がって遊ぶ子どももいました」と話します。それでも根保さんは怖くて米兵に近づくことができませんでした。

 地上戦もなく、宮城島の住民は落ち着いた生活を送っていましたが、5月末に事態は一変します。

 《米軍が上陸して2カ月近く、5月29日の朝、宮城島と伊計島の住民は平安座島と浜比嘉島へ移動するように米軍から突然命令が出た。午前10時頃で、大人は畑や海へ、子どもたちは遊びに行っていた。家族は右往左往の大騒ぎになった。》