喜納、事故後の車いす「ワクワクした」…漫画「リアル」と重ねた挑戦 パラ7位入賞


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喜納翼(左)と下地隆之コーチ=2018年11月

 好奇心旺盛で根っからの楽観主義。バスケットボール選手だった19歳の時、筋力トレーニング中の事故で下半身まひになったが、喜納翼は「新しい生活を楽しむことにワクワクしていた」という。理由は車いすバスケを題材にした漫画「リアル」(井上雄彦さん著)を愛読していたから。「背骨が折れてると聞いた時、『漫画の世界だ』と思って。どこまで本当なんだろって興味が湧いた」と笑顔で振り返る。家のバリアフリー化など、多くの不安を抱えていた父・肇さんも「娘の明るさに逆に元気をもらった」という。

 一方で、繊細な一面も。パラリンピック開幕直前、うるま市役所で行われた激励会で地域の小学生による応援動画を見ていると、視界がにじんだ。コロナウイルス禍で、賛否のある中で開かれた五輪・パラ大会。「笑って過ごす日々ばかりではなかった。私も苦しかったんだなって気付いて…」。応援に対する深い感謝が涙となってあふれた。

 車いす陸上を始めたのは2013年。第一印象で「体格が大きいのが武器になる」と感じたという日本パラ陸上競技連盟強化委員の下地隆之コーチに誘われた。173センチという高身長で体重が重く、加速や上り坂では体格が不利に働くが、長い腕はハンドリム(車輪の持ち手)を後方まで回せるため、より車輪に力を伝えて高速を維持する持久力に優れる。

 下地コーチが評するもう一つの強みは「負けず嫌いで、研究熱心なところ」。きつい練習メニューをしっかりこなし、さらに自ら改善点を探る思考力があるという。二人三脚で競技を突き詰めてきた2人。喜納も「コーチに恵まれた。愚痴にも付き合ってくれるし」と信頼関係は深い。

 翼という名前には、肇さんが「世界に羽ばたける翼になってほしい」という大願を込めた。小学生の頃に初めて由来を聞かされた時は「ずいぶん大それた名前だな」と恐縮したというが、世界最高峰の舞台で見事に体現して見せた。

 まだ競技を始めて約8年。「『もうきつい』という感覚はまだきてない」という喜納の成長と活躍から、今後も目が離せない。
 (長嶺真輝)


 喜納翼(きな・つばさ) 1990年5月18日生まれ。うるま市出身。小学4年の時にバスケットボールを始め、中学、高校と県代表に選出。大学1年だった2010年、筋力トレーニング中にバーベルを落とし、胸椎骨折で下半身まひに。下地隆之コーチとの出会いを機に、13年に車いす陸上を開始。19年の大分国際マラソンで1時間35分50秒の日本新記録を樹立した。クラスはT54。Tはトラック競技やマラソンなどを意味する。数字の2桁目は障害の種類と競技形式を表し、5はせき髄損傷によるまひや切断による車いす使用など。1桁目は障害の度合いを表し、数字が小さいほど重い。