車いすラグビーで国際審判の資格を持つ沖縄市出身の渡邉(旧姓與那嶺)紗代子さん(37)=大阪府在住、高知・フリーダム所属=が東京パラリンピックでテーブルオフィシャル(TO)を務めた。役割は攻撃の時間管理。パラリンピックの舞台で笛を吹くという夢に向け「身近でパラリンピックの審判を見て、圧倒的な余裕やオンとオフの切り替えの良さを感じた。自分の改善点が見えた大会になった」と貴重な経験を得た。
両親が看護師で、小学生の頃から医療系の仕事を志していた。コザ高を卒業後、理学療法士の資格を取るために沖縄リハビリテーション福祉学院へ。1年の時、障がい者スポーツに詳しい先生からツインバスケットボールのチームを紹介され、もともとスポーツ観戦が好きだったこともあり、マネジャーになった。
同じ頃、車いすラグビーチーム「沖縄ハリケーンズ」が活動を本格化。リオ大会まで4大会連続でパラリンピックに出場した、仲里進らが中心のチームからマネジャーとしてサポートしてもらえないかと声が掛かった。頸髄(けいずい)損傷など、パラ競技の中でもより重度障害の選手が多くプレーするが、時には車いすが壊れるほどに激しい接触を伴う競技だ。「ガツガツ当たりながら点を取って守る。その競技性にのめり込んだ」。本気で日本一や世界を目指す選手たちの熱に魅了された。
練習の準備や合宿中の生活介助を担っていたが、徐々に競技への理解も深まり練習中に審判もこなすようになった。大会の出場チームは必ず審判を1人出すというルールができたこともあり、公式戦でも笛を吹くように。「自分が審判を究めれば究めるほど、チームの役に立てる」という思いもあり、10年ほど前に国内審判の資格を取得。2019年には実技や筆記などの試験を突破して国際資格も手にし、大会のほか、代表チームの合宿にも帯同する。
まだ国際大会の経験が浅く、東京パラで審判を務めることはできなかったが、攻撃の制限時間である40秒を計測するTOを務めた。計6試合でテーブルに着き、最後は銅メダルを獲得した日本の3位決定戦で役目を担った。世界のトップ選手による熱のこもったプレーや、普段とは比べものにならない数のスタッフの尽力を目の当たりにし「無観客ではあったけど、圧倒的な空気感があった。あれはパラリンピック独特。すごくいい経験だった」と振り返る。
自身の夢の実現に向け、決意もより固まった。過去にパラリンピックで笛を吹いた日本人は2人いるというが、東京大会ではゼロ。「先輩から頂いたバトンをより良い形で後輩に渡したい。日本にもいい審判がいるということを世界に見せていく役割も担っている」と奮い立つ。「場数を踏み、7年後のロス大会までには吹きたい」と力強く語った。
(長嶺真輝)