40年ぶりの芸能コンクール受験で優秀合格 玉城流鳳玉瑞の会・宮城清美会主


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40年ぶりにコンクールを受験し合格した玉城流鳳玉瑞の会の宮城清美会主=24日、沖縄市

 玉城流鳳玉瑞(ほうぎょくずい)の会の宮城清美会主(59)がこのほど行われた第55回琉球古典芸能コンクールで、琉球舞踊・優秀部門を受験した。1980年に新人賞を取って以来、40年ぶりにコンクールを受験し、合格した。受験を推薦した玉城流玉扇会の玉城秀子二代目家元は「周囲に認めてもらうためにも、コンクールの受験は大切なことだ。本人のやる気がある限り、面倒を見てあげたい」と、最高賞受験に向けて精進を促す。

 宮城会主は小学校低学年の頃、母の勧めで玉城流鳳玉順の会の伊佐順子家元に師事した。家族を華やかそうと、次第に琉舞に夢中になっていき、中学に進学すると、通学路に道場があったこともあって、足しげく稽古に通うようになった。宮城は「親は琉舞はもういいだろうと、月謝を払っていない時期もあったが、伊佐先生は『(月謝は)いいよ、いいよ』と稽古をしてくれた」と振り返る。

 「一緒に会の活動を支えてほしい」という家元の思いもあり、新人賞に合格して2年後の1982年、20歳で師範免許を授与された。やがて病気で活動が難しくなった伊佐家元を支えるため、会の活動に注力し、コンクールを受験する時間もなく月日が過ぎていった。自身の会も立ち上げ、会名には2歳で亡くなった娘・みずきさんへの思いを込め「瑞」の字を用いた。

 伊佐家元の病気が悪化し、今後の芸の磨き方を考える必要に迫られた宮城は、玉城流玉扇会の秀子家元に教えを請うた。玉城流玉扇会は伊佐家元が会を立ち上げ独立するまで所属していた。秀子家元は「同じ玉城流だから」と懐深く、宮城を受け入れ、分け隔てなく稽古をつけた。宮城も稽古に打ち込めるよう、自身の道場の定例稽古を休止した。初心に帰り、古典を学び直した。

 宮城は「秀子家元はじめ、玉扇会の方々のおかげで受験し、合格もできた。ありがたい。今までコンクール受験を望む生徒への指導に、不安があった。道場を再開したときに彼らを安心して送り出してあげられるよう、伊佐先生の手も大切に受け継ぎながら、最高賞も受験したい」と笑顔をみせた。