戦後60年経て重い口開く 高良初枝さんの体験 母の戦争(1)<読者と刻む沖縄戦>


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娘の仲村和子さん

 与那原町上与那原の仲村和子さん(72)から母の戦争体験をつづったお手紙をいただきました。母の高良初枝さん(92)は那覇市の出身です。

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 初枝さんが沖縄戦体験を語り始めたのは敗戦から60年を迎えた頃でした。

 《母の高良初枝は昭和3年、那覇市で生まれ、現在92歳です。介護施設のお世話になっています。

 詳しく戦時中の話を聞くようになったのは今から15年くらい前。戦後60年を経てからのことです。メディアの大々的な沖縄戦の悲劇の報道に、生き残った者の責任として次の世代に語らねばと思ったようで、重い口を開いてくれました。》

 「母は、自分の体験を家族に話すことはありませんでした。大変な思いをしたようです」と仲村さんは語ります。自身の体験を見つめるようになったきっかけは、戦後60年報道でした。

 「報道を見て、本人も思うところがあったのでしょう。手記をまとめて、どこかに投書したようです。自分の体験を残しておきたかった、知ってほしかったんでしょうね」

 初枝さんは沖縄戦の直前、那覇市山下町で暮らしていました。日本軍の船舶が寄港する那覇港の様子を見ていました。

 《戦争の足音は感じていても、それほど危機感はありません。那覇港には軍艦が停泊していて、近隣住民は「友軍だ、友軍だ」と心強く思っていたそうです。》

 


「読者と刻む沖縄戦」を再開します。母の戦争体験をまとめたお手紙を紹介します。