母の高良初枝さん(92)の戦争体験を手紙で送ってくれた仲村和子さん(72)=与那原町=は「戦争の危機を実感していなかった母たちは10・10空襲で初めて恐ろしさを感じたようです」と語ります。
1944年の10・10空襲は那覇市民、県民を恐怖に陥れました。
「空襲の時、那覇の山下町から現在の空港の方向に逃げました。それまで母は、こんなに大変なことになるとは思っていなかった。空襲で戦争が迫っていることを知ったのです」
年が明けて45年3月末の艦砲射撃、4月1日の米軍上陸。初枝さんらは那覇を離れ、本島南部へ向かいます。
《母は、42歳の母親、65歳の祖母、9歳の弟と共に南部方面へ逃げます。食料もなく、近場の畑のサトウキビやイモをかじって、ガマに潜み、過ごしていました。
ある日、日本軍が現れ、ガマを追い出されて、母たちは、前後左右と弾丸が飛び交う中をさまようことになりました。》
初枝さんは和子さんに「よくもあれで命があったよ。あの状態でよく生きることができた」と語っていたといいます。
避難の途中、悲劇が起こります。砲撃で爆破された岩が家族を襲い、初枝さんの母マンチさんが腹部を負傷します。場所や時期ははっきりしませんが、「那覇近郊だったようです」と和子さんは語ります。
混乱の中、初枝さんは助けを求めます。
「読者と刻む沖縄戦」を再開します。母の戦争体験をまとめたお手紙を紹介します。