悲惨な記憶 深く心に 高良初枝さんの体験 母の戦争(5)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ

 母マンチさんを沖縄戦で失った高良初枝さん(92)は20歳で結婚します。1948年11月、娘の仲村和子さん(72)=与那原町=が生まれました。

 初枝さんは戦後、洋裁学校で学び、那覇市牧志の公設市場で働きました。戦後60年を迎えた2005年ごろから自身の戦争体験を話し始めます。

 「自分の悲惨な体験を伝えることで、子や孫のためにも二度と戦争が起きないような世の中にしたいと思ったのではないでしょうか」と仲村さんは語ります。

 介護施設で療養生活を送っている初枝さんは、航空機の騒音が聞こえると耳をふさぐといいます。戦争の悲惨な記憶が深く心に刻まれているのでしょう。

 《今も母は飛行機の爆音を「聞きたくない、身震いする」と耳をふさぎます。60年も話せなかった悲惨な体験の重みを、私も今後背負っていきます。再び戦争が起こらないよう、小さなことを少しずつ共有して平和の希求にかけたいと思います。》

 15年ほど前、初枝さんは自身の戦争体験記を公募企画に投稿したことがあります。その時、景品として送られてきた万年筆が和子さんの手元にあります。

 77年前のきょう、沖縄の島々を襲った10・10空襲がありました。

 「戦争を繰り返してはいけないという気持ちは母と同じです。私も小さな声だけど発信したいと思います」と和子さんは語ります。

 (仲村和子さんのお手紙は今回で終わります。12日から中村陽一さんの記録を紹介します)