prime

通りにインドネシアの風 郷里の味求める人の交流の場に<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈22>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
新天地市場通りにほど近い路地にたたずむインドネシア食材店「カリーム・ワークス」=那覇市松尾

 韓国、中国、ヴェトナム、ネパール。那覇にはアジア各国の食材を扱う店がある。そのラインアップに、インドネシア食材店が加わった。新天地市場通りにほど近い路地にたたずむ「カリーム・ワークス」だ。

 店主のディマス・プラディさん(32)は1989年、インドネシアのスマトラ島生まれ。曽祖父の金五郎さんは旧日本軍としてインドネシアに従軍し、終戦後は独立を目指す義勇軍の兵士とともに戦った。日系4世のディマスさんは、中学3年で静岡県浜松市に移り住んだ。

 「日本にきたときは、カルチャーショックを受けました」。ディマスさんは振り返る。「インドネシアでは、午後になると庭に出て、家族と一緒に過ごしたり、近所の人と話したりするのが普通だったんです。でも、日本にきてからは大人も忙しそうにしてるし、子どもは塾や部活があって、誰もいない。それに、日本の中学校に入って初めて言われたのも、『おはよう』でも『初めまして』でもなく、『黒いね』だったんです。どういう意味だろうと思って電子辞書で調べたら、『BLACK』と出てきて。それはそれで良い刺激になって、1年間日本語を勉強して、普通科の高校に入りました」

妻の郷里・沖縄へ

最も人気がある商品のインスタントヌードル「ミースダップ」
インドネシアから取り寄せた食品が並ぶ棚

 やがて大学生になったディマスさんは、「もっと日本のことを知りたい」と思い立ち、多文化共生をテーマのひとつに掲げるNPOにかかわるようになる。そこで沖縄県出身の女性と出会い、結婚。2011年には浜松でコミュニティーカフェ「チャンプル」をオープンした。子どもが生まれたのを機に、2017年に妻の郷里である沖縄に引っ越した。

 「沖縄にきてからは、具志川の職業能力開発校に通って、デザインの仕事をしていました。ただ、ムスリムとして働きづらさを感じていて。その当時、西原にあるモスクにお祈りに行くと、技能実習生として働いているインドネシアの子たちがいたんですね。話を聞くと、インドネシアの食材が手に入らなくて困っているという子がたくさんいたので、『ああ、じゃあ移動販売を始めよう』と思い立って、会社を辞めて今の仕事を始めたんです」

「三方よし」

インドネシア食材店「カリーム・ワークス」を営むディマス・プラディさん

 こうしてディマスさんは食材の移動販売を始めた。2019年1月のことだった。ディマスさんの父は、リーマン・ショックを機にレストランを開業しており、父の仕事を手伝っていた時期もあるディマスさんは、食材を輸入するノウハウにも通じていた。

 「本土では、インドネシアの食材は普通に買えるんです。でも、それまで沖縄では扱っているお店がなかった。なぜかというと、一つは流通の問題で、本土から沖縄に輸送するコストがとても高いんです」

 「もう一つ、本土だと日系人や移住してきた外国人のコミュニティーが各地にあるんですけど、沖縄だと定住者は少なくて、技能実習生が多いんですね。漁師として10年、20年と働いているインドネシア人も(那覇市泊の)いゆまちに大勢いるんですけど、船に乗っている時間が長くて、沖縄のことを全然知らずに過ごしている。だから沖縄でインドネシア人に向けて商売をする人がいなかったんだと思います」

 インドネシアから沖縄に移り住んだ人たちは、コミュニティーを持てないまま、孤立して過ごしていた。そこでディマスさんは、フェイスブックなどを活用し、インターネットで注文を募って移動販売を始めた。屋号にある「カリーム」とは、アラビア語で「優しい」を意味する。買い手よし、売り手よし、世間よしの「三方よし」の商売をしようと、この名前をつけた。

 一番人気の商品は「ミースダップ」というインスタントヌードル。移動販売を始めた当初は送料を補うために250円で販売していた。日本製品と比べると割高になるが、郷里の味を求める人たちには好評だった。ディマスさんは工夫を重ね、「ミースダップ」も現在では110円で販売できるようになった。

場所作り

店内で販売している多彩なインドネシア食材

 移動販売で扱う量が増えるにつれ、自宅では在庫を抱えきれなくなり、今年の3月15日に現在の場所に店舗を構えた。沖縄各地に暮らしているインドネシア人の技能実習生たちも、フェイスブックを見ていると、給料日になれば那覇に出て、国際通りを歩く写真をアップしていた。その様子を見て、那覇に店を構えれば足を運んでもらえるだろうと、那覇での出店を決めたという。この半年、イスラム教徒の女性が髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」をまとった女性をまちぐゎーで見かける機会が増えたのも「カリーム・ワークス」が開店した影響だろう。

 「本土に比べると、沖縄は外国人に対してウエルカムな空気を感じるんです」とディマスさん。「ただ、それでもまだ、扱い方が不適当だなと感じることもあります。特に技能実習生に対しては、育成するべき人材じゃなくて、コストと見なしているような気がするんですけど、それはもう時代遅れだと思うんです」

 移動販売の仕事をしていると、広々とした畑の中にぽつんとコンテナハウスが置かれており、そこで暮らしている技能実習生たちと出会ったこともあった。孤立を余儀なくされている人は、数えきれないほどいる。インドネシア出身の人たちが、コミュニティーの中で暮らせるように。ディマスさんの場所作りは始まったばかりだ。

(ライター・橋本倫史)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2021年8月27日琉球新報掲載)

9月24日付の「まちぐゎーひと巡り」は休みます。