徐々に和らいだ血縁へのこだわり…養父母と同じ福祉の道へ<家族になる 里子・里親の今>2


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現在の両親の元へ迎えられた頃のミカさん。ケーキにろうそくを立て、1歳の誕生日を祝った(提供)

 1歳の頃に里親家庭に迎えられ、特別養子縁組をした両親と暮らしてきた本島南部の20代のミカさん(仮名、23)。自分は実母に望まれていない存在だったと悩み、10代の頃は実親探しに懸命になっていた。家族の形に悩んだ高校時代、家庭環境の似た友との出会いがあった。小中学生の頃は周囲に話せなかった胸の内を打ち明けた。友人は親との関わりに難しさを抱えていた。お互いの経験や状況を分かち合う中で「実親を探すことが全てではない」と考えるようになった。同時に、自らの置かれた環境を見つめた。「あなたを大事に思ってる」「いつでも味方だよ」と、自分を大切にしてくれる両親の大きさを感じた。2人の温かい言葉が日々蓄積され、実母から離れて育ってきたこれまでの自分をありのままに受け入れられるようになった。

 障がいのある父親は社会福祉士として、母親は就労継続支援事業所の管理者として働いている。2人の背中や里子たちとの暮らしから、自然と福祉に興味を持ち、進路を考える上の基礎になった。三つのアルバイトを掛け持ちしながら、専門学校に2年間通った。「やりたいことに挑戦する中で、過去を見てもやもや立ち止まる余裕もなかった。次第に今に焦点を当て生きるようになっていた」と血縁へのこだわりは徐々に和らいでいった。

 保育士の資格を取得し、現在は県内の児童デイサービスに勤務し、障がいのある子どもたちの育ちを支える。両親のように、子どもたちと正面から向き合い、日々の小さな成長・変化を実感する。働き始めて2年目。「より幅広い支援ができるように」と社会福祉士の資格取得を志すなど、将来像を描いている。

 今年9月に結婚した。決まった際、家族とは血がつながっていないことを相手に伝えた。「俺たちも血はつながっていないし、結婚しても、つながるわけではないもんね」「ミカは変わらないから」と、自然に受け止めてくれたことが何より大きかった。

 幼い頃から問い続けた家族の形。「今は、血はつながっていなくても一緒にいること自体が家族なんだと思う」。考え方は変化してきた。母の日と父の日には両親の顔が思い浮かぶ。家を出て生活を始めた今も、時折家族と一緒に食卓を囲んでいる。最も伝えたいのは感謝の気持ち。

 「ぶつかることも多かったけど、今までありがとうと言いたい。お父さんとお母さんがいたから、ここまでこられた。おかげで妹たちとも出会えて、家族としてみんな一緒に過ごすことができた」
 (吉田早希)