「18歳で自立」難病が壁に…家族の絆に支えられ<家族になる 里子・里親の今>3


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ゆうかさんが服用する薬。食欲不振により現在は1日1食で、処方された栄養剤を取っている

 7種類の薬を毎日服用している。県内大学に通う、本島中部在住のゆうかさん(22)=仮名=は2歳の頃、現在も共に暮らす里親家庭へ迎えられた。幼い頃から全身の筋肉や神経の機能が低下する難病を患う。中学生の頃、同じ病で妹を亡くした。通院生活は続く。現在4年生で心理学を専攻し、公認心理師の資格取得を目指して大学院進学を希望する。「1人暮らしを考えるが、医師からアルバイトと学業の両立は難しいと言われている」。目標へのハードルの高さを感じている。

 ゆうかさんらのように、一つの里親家庭にきょうだいそろって受託される事例もある。1歳年下の妹は、ゆうかさんから半年遅れで同じ家庭へやってきた。物心ついた頃、里母から「お母さんとお父さんが二人いるんだよ」と伝えられた。幼かったためか「そうなんだ」とあまり気にすることはなかった。5歳の頃から実親との面会が始まった。プレイルームのある児童相談所が面談場所で、そこに遊びに行くような感覚だった。

 家庭では、里母が毎晩本の読み聞かせをし、里父は外に連れ出してくれた。妹とも仲が良く、いつも一緒に遊んだ。明るい性格で「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とよくついてきた。

 妹が小学1年生の時、風邪の症状があると、里母が学校に呼び出された。里母は妹が幼い頃から体力がないと感じていた。他に原因があるのではないかと心配し、医療機関を訪ね歩いた。病院5カ所を回り、生まれつき体内の細胞の働きが弱い難病を発症していることが判明した。診断以降、入退院を繰り返した。

闘病 絆で支えられ 医療費助成除外に不安も

里親家庭の両親や実妹との思い出を振り返るゆうかさん=本島中部

 本島中部在住のゆうかさん(22)=仮名=は2歳の頃、里親家庭に迎えられた。同じ家庭にやってきた1歳年下の妹は、小学生の頃、全身の筋肉や神経などの機能が低下する難病であることが判明。入退院を繰り返すようになった。

 入院中は仕事帰りの里父と共に、ゆうかさんも毎日お見舞いした。里母は専門的な援助を必要とする子どもを養育する「専門里親」の研修を受け、つきっきりで支えた。「今夜が山だ」と言われたこともあったが、病院を出て外泊ができるほどの回復も見せた。闘病を続けたが、ゆうかさんが中学2年生の頃、妹は多臓器不全で息を引き取った。

 亡くなったことに実感は湧かなかった。学校の行事も重なる時期で、忙しさに追われたからだろうか。その後食事がのどを通らなくなるなど体の不調が出始め、1カ月ほど入院した。「今思うと、その時期は不安やストレスなどいろいろ負担があったんだと思う」

 自身も幼い頃から病弱だった。遺伝子検査をすると、妹と同じ難病であることが分かった。里母は日頃の生活に加え、学校に症状を説明し理解を求めるなど懸命に支えた。

 普段から頭痛や倦怠感(けんたいかん)、筋肉の炎症、食欲不振などの症状が現れる。よく熱が出ることもあり、体調をコントロールできるよう十分な注意を払う。

 妹を失い、難病という困難に直面したが、里親・里子同士のつながりが自身と両親を支えた。妹の入院や、専門里親の研修で里母が県外へ出る間は、周りの里親たちが面倒を見てくれた。

 現在通院は3カ月に1度。ビタミン剤を含む7種類の薬を服用する。3カ月分で7~8万円に上る薬代は、難病の医療費助成制度を利用している。過去には申請が却下されたこともあり、体調が安定することを望む一方で、症状が改善すれば医療費助成の対象から外れるのではないかと不安も抱えている。
 (吉田早希)


 里親制度は原則18歳で措置解除を迎え、子どもは自立をしなければならない。支援の必要性が認められれば継続されることもあるが、病気を抱えて自立を目指すには困難な例がある。連載「家族になる」里子編ではこうしたケースの当事者である「ゆうかさん」の生活を追った。