「戦争のために亡くなった全ての学友を記すのが、われわれ生きた者の責務だ」。90歳前後となった元学徒らは、執念とも言える独自の調査で、沖縄の学徒全体の戦没者数を掘り起こした。つまびらかでない学友の最後をせめて数字として残したいとの切実な思いがあった。
県内の21の旧制師範学校や中等学校の男子と女子学徒らが日本軍に動員された。「沖縄県史各論編6沖縄戦」によると、動員数は、男子は通信隊や鉄血勤皇隊として約1500人、女子は負傷兵の看護で約500人。その半数の千人余りが亡くなったとされてきた。
ただ、県史で私立開南中や県立八重山中などは、動員数や戦死者数は「不明」「0」などとされ、各同窓会が数える死亡者数とは開きがあった。
「元全学徒の会」は、21校全ての戦没者数を記した刻銘板の設置を県に要望。同時に、各校同窓会などを通じ、戦没者数を調査した。その結果、動員と動員以外を合わせ、1984人という数字を出した。
調査の中心となった同会幹事の宮城政三郎さん(93)は、戦没者の捉え方について「配属将校に連れられて部隊に配属された人に限るのか、それとも戦争で亡くなった全てとするのか、会でも議論があった」と振り返る。会は14回にわたり話し合いを続けた。
その結果、部隊に配属された「学徒隊」の戦死者だけでなく、当時1年生で部隊に配属されなかったものの、自ら戦闘に参加し亡くなった人、戦争で負傷し、時間が経過してから亡くなった人など、在学中に沖縄戦に巻き込まれたことで亡くなった全ての学徒を含めると決めた。
会の動きは、研究者らによる再調査にもつながった。ここ数年で、戦後の名簿などから学徒の動員経緯や戦死者数も明らかになっている。県史の編さん委員も務める、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長が編集した「ひめゆり平和祈念資料館資料集4 沖縄戦の全学徒隊」(20年6月23日改訂版発行)は、「不明」とされてきた開南中や八重山中の動員数や戦死者数を新たに記載。学徒隊や学徒隊以外で亡くなった人は、生徒と教師合わせて2千人余りと記された。