怪談、謎の塔、トトロ…トンネルは未体験ゾーンの入り口? 記者が行く<J1グランプリ>


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 沖縄県内各支社・支局の地方記者が地域のイチオシを紹介する「J(地元)☆1グランプリ」。今回は地元の人になじみのトンネルを紹介します。カジマヤー(数え97歳のお祝い)を迎えた古いトンネルから、人気のドライブコース、お墓の下を通るトンネルなどが集まりました。場所と場所を最短距離でつなぐトンネルですが、通過中は不思議な雰囲気を感じることも。地図を頼りに、気になるトンネルを目指してみては。あなたにとって、未体験ゾーンの入り口になるかもしれません。

プレビュー 朝薫眠る 格式高い場所

浦添市・前田トンネル

 沖縄都市モノレール(ゆいレール)経塚駅に隣接する前田トンネル。2000年の開通以来、地域住民の生活道路として使われてきたが、地元の人以外にとってなじみは薄い。しかし、トンネルの上には沖縄を代表する偉人のお墓がある。その人物の名は組踊の創始者の玉城朝薫だ。

組踊を創作した玉城朝薫の眠る墓がある前田トンネル。トンネルの真上をモノレールが走る

 朝薫の墓が発見されたのは1984年。道路計画の調査で発見され、2005年に復元された。墓を保全する観点から予定していた道路計画は取りやめて、眼鏡トンネル方式となった。墓は17世紀後半に造られたと推定され、内部には天井を支える石柱があり、墓庭の石垣は曲線を描いている。市は「亀甲墓が成立していく時期の貴重な墳墓」として1995年に文化財に指定した。

 歴史香る前田トンネルだが、ネットでは「心霊スポット」と、不穏な言葉が並ぶ。理由を探ると、工事の関係でトンネルが長い間、片側しか通行できない状態だったことで良からぬ臆測を呼んだとみられるが明確な理由は不明だ。そんな前田トンネルについて、前田自治会の石川仁孝会長(67)は「心霊スポットなどとんでもない。むしろ、玉城朝薫が眠る格式高いトンネルだ。モノレールも墓を避ける形で沿線がCの形になっている」と胸を張る。車だけではなく、モノレールでも楽しめるトンネル。それが前田トンネルだ。

(吉田健一)

プレビュー 謎に包まれる巨大な塔

那覇うみそらトンネル

那覇うみそらトンネルの若狭側出入り口。トンネルの上にある塔が通称「三重城タワー」

 那覇市若狭と那覇空港をつなぐ「那覇うみそらトンネル」は、県内初の海底トンネルとして2011年に開通した。トンネルの出入り口付近に巨大な要塞(ようさい)のような塔が一つずつ建っているのにお気付きだろうか。グーグルマップを見ると、若狭側の塔は「那覇うみそらトンネル三重城タワー 展望台」と表示される。整備した沖縄総合事務局に詳細を問い合わせた。

 「三重城タワーについて教えてほしい」。担当者に尋ねると「我々は三重城側換気塔、空港側換気塔と呼んでいる」と答えた。塔はトンネル内の排気ガスを浄化、排出する施設だったのだ。換気塔の幅と奥行きはそれぞれ41メートルで高さは36メートル。「沖縄の強い光と爽やかな海の風を印象付ける建物」をコンセプトにデザインされたという。

 どちらの塔にも展望台が整備されているが、塔の中には入れない。担当者は「常時、一般の人を入れるのは体制がないと厳しい」と話した。空港側の塔は過去にイベントで内部を公開したことがあるという。

 三重城側換気塔を訪れると、周辺で猫が昼寝をしていた。のどかだ。1歳の娘と散歩していた40歳の女性は「娘が猫好きなので遊びに来る。飛行機や船も見られる」と話した。周囲の人々に取材したところ、この塔が換気塔だと知っている人はいなかったが「中に入ってみたい」と口をそろえた。近い将来、公開されることを期待したい。

 (伊佐尚記)

プレビュー 先人の偉業 ロマン体感

うるま市・ワイトゥイ

両壁は岩肌で上は深緑に囲まれた、「ワイトゥイ」

 両壁にはごつごつとしたむき出しの岩肌がそり立ち、上を見上げると青空を覆うように深緑が生い茂る。うるま市勝連平安名にある「ワイトゥイ」は岩と緑が織りなす自然トンネル。昼間通れば、ジブリアニメのトトロが顔をのぞかせそうな緑豊かな様相から、夜は一転、マジムンが出てきそうなおどろおどろしい雰囲気に変わるのも面白い。

 「歴史的背景を知って通ると、また味わい深いんだよ」。平安名自治会の外間勝会長(60)がそう語るように、幾千人の力によってできた道だ。交通難の解消のために、人力で1932年から3年もの年月をかけて岩を切り開いて開通させた。割って取ったことから「ワイトゥイ」と呼ばれている。

 岩肌からは、開通まで容易ではなかったことを感じさせる先人の苦労の跡が見て取れる。通るたびに「ロマンを感じる」(外間自治会長)という“胸熱(むねあつ)スポット”になっている。

 全長は150メートル程度だが、車の交通量が意外とあるので、歩く際は注意が必要。そり立つ岩肌がまるで両サイドに切り開く波のようにも見え、旧約聖書のモーゼのような気分も味わえる。夜は「月明かりを頼りに…」なんてロマンチックにいきたいところだが、頭上に茂る緑で真っ暗なので、ドライブがお勧めである。

 先人の偉業だけでなく、自然の豊かさも感じられる、歴史ロマンの道。近くに来る機会があれば、ぜひ通ってほしい。

(新垣若菜)

プレビュー 開通97年 カジマヤー祝う

今帰仁村・運天トンネル

1924(大正13)年に開通した「運天トンネル」

 今帰仁村の東部にある運天港。源為朝が上陸したという伝説がある天然の良港だ。運天はかつて北部の要所で、近世には番所(役所)もあった。

 その運天港への出入り口として1924(大正13)年に、つるはしや荷車で大人も子どもも駆り出され人力によって掘られたのが運天トンネルだ。羽地の仲尾トンネル、国頭の大国トンネルに続き、本島内では3番目に古いトンネルとされる。

 トンネルができるまでは、勾配の激しい坂道を、馬が人や荷物を載せて通っていたが、開通後は馬車や車が運天の集落まで行けるようになり、利便性が向上した。

 以降、農作業や名護の街に出掛ける際の重要なトンネルとなった。昨年10月には開通して数え97年になったことを記念し「カジマヤー」の祝賀会も地域の人たちによって催された。

 運天で生まれ育った島袋俊郎さん(64)は「古宇利島にまだ橋が架かっていないときは島と本島を結ぶ拠点が運天で、何軒も商店があった。トンネルをくぐってたくさんの人が街に向かった」と振り返る。

 結婚を機に47年前に運天に移り住んだ上間信子さん(77)は「昔はバスも通っていて、子どもたちが遠足で見学に来ていた」と懐かしそうに話した。

(松堂秀樹)


 長さより風情に魅力

 かつて国頭村の宜名真トンネルが1045メートルで本島で最長でした。幼い頃ドライブで出口が見えないトンネルを走るのは、なぜかわくわくしたのを覚えています。でもすぐに外の明かりが見えてきて、残念な気持ちと安心感が交錯したものでした。

 あれからだいぶ月日が流れ、現在県内最長のトンネルは、2012年に開通した名護東道路にある名護大北トンネルで1976メートルです。

 個人的に好きなのは、100年余の歴史がある名護市羽地にある仲尾トンネルです。全長約30メートル。距離ではなく、風情と景色と歴史にひかれます。一度皆さんも足を運んでみてください。

 (亜)


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