繰り返された調査断念…32軍壕の調査決定までの流れを振り返る


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 首里城公園一帯を沖縄戦の実相・教訓を継承する場とするため、県は沖縄の本土「復帰」50周年記念事業の一環として、首里城地下にある第32軍司令部壕の第1坑道の位置特定に向けた調査を実施すると発表した。県は今年1月に「第32軍司令部壕保存・公開検討委員会」を設置したが、保存・公開までのロードマップや調査箇所の優先度を示しておらず、専門家からは不満や苦言も出ていた。第1坑道の調査で壕の全貌把握が進めば、保存・公開へ弾みとなりそうだ。

 首里城地下の日本軍第32軍司令部壕を巡っては、調査を試みては断念することが1960年代から何度も繰り返されてきた。那覇市が62~63年に、県観光開発事業団が68年に試みたが、落盤が激しく断念した。

 首里城の開園や戦後50年を前に県民から司令部壕の整備の要望が高まり、県は93~94年度に試掘事業を実施。第1坑道の中枢部への到達を目指し、あと6メートルに迫った。97年度、県の検討委が「基本計画」をまとめ、県知事公室も同じ内容の「保存・公開基本計画」を策定した。

 しかし、予算不足などで調査と整備事業は20年以上、止まった。

 再び32軍壕の保存・公開の機運が高まる契機となったのが一昨年の首里城火災。沖縄戦体験者らの要請も受け、県は新たな検討委員会を設置。検討委で専門家から「第1坑道など未調査部分を調査してほしい。壕の全貌把握が必要だ」といった意見が出される一方で、県は「安全性などが確保できる所から調査する」などとして、第1坑道の調査を明言してこなかった。

 第1坑道のほか、第1坑口と第4坑道・坑口も未調査で、位置が確定できていない。専門家は、泥岩や砂岩に掘られた壕の劣化も懸念する。調査の加速化も求められている。
 (中村万里子)