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台湾出身の記者、沖縄からニュースを発信する理由<沖縄発>


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明

written by 呉俐君

 「外国出身だが、日本の新聞社で記者をしている」。このことに台湾の友人はともかく、日本人の友人もびっくりする。

 2012年、琉球新報社に入社した。勤続まもなく10年を迎えるが、現在でもよく取材相手に「出身はどこ」、「なぜ日本の新聞社を志望したか」などと聞かれる。だが、出身地は簡単に答えるが、新聞社への志望動機についての回答に、いつも悩む。志望動機は決して「記者になりたいから」という単純な理由ではなく、より複雑ないきさつがあったからだ。そもそもなぜ、私は沖縄にやってきたか、まずここから説明する。

親戚や近所たちが集まる祖母の91歳誕生日パーティー=2018年8月 、台湾高雄市

◆留学が人生の転機

呉俐君記者

 2004年、在籍していた台湾の東海大学から交換留学生として沖縄大学に派遣された。留学を機に人生初の海外生活が始まった。強い郷愁はもちろんあったが、新しい環境での奮闘から生じた刺激でなんとか乗り越えられた。

 沖縄は台湾と地理的に近く、気候や食べ物など似ているところが多くある。たとえば、台湾にも年に数回台風が接近し、冬になっても町では雪が降らない。食べ物に関しては、台湾でも米や麺が主食で、野菜と豚肉の炒め物もよく実家の食卓にあった。約1年間の留学はほとんど違和感がなく、楽しく過ごせたため、後に沖縄に戻ってくる動機につながった。

観光客が散策する 「旗山老街(チーサンラアウジェー)」= 2019年8月、台湾・高雄市

 06年に運が良く、沖縄の県費留学生として選ばれ、再び来沖した。2回目の沖縄留学は、琉球大学に配属され、同大学院への進学の後押しにもなった。大学院在籍中、これまであまり注目されなかった「戦後沖縄本島に住む台湾系華僑」をテーマに論文を仕上げ、おかげで博士号を取得した。論文執筆を通して、多くの人脈を築き上げ、当時の台北駐日経済文化代表処那覇分処(台湾在外領事館に相当)の処長までと仲良くした。

 12年に大学院卒業間際、処長に「就職先が決まっていなければ、琉球新報を紹介するか」との声をかけられた。「外国人の私には大丈夫か」との不安もあったが、千載一遇のチャンスへの挑戦に心を変え、応募することを決めた。

 当時、面接に臨んだのは現社長の玻名城泰山編集局長と前会長の富田詢一氏だった。両氏に「沖縄の地理的な優位性を活用し、アジアに発信したい。まず距離的に沖縄に近い台湾へアプローチしたいので、中国語の人材を募集したい」と説明された。日本の新聞社になぜ外国籍の記者が必要かという謎がようやく解いた。それで、私は100年以上の歴史がある琉球新報社に初の外国人記者として採用された。

◆見下される記者

台湾の国立公園「太魯閣(タロコ)国家公園」= 2019年11月、台湾花蓮県

 近年、台湾では「記者」という職業をからかう言い回しがあった。「小時不讀書(シャオシーブデューシュ)、長大當記者(ザンダダンジーゼ)(小さい時に勉強を頑張らないと、大人になったら記者にしかなれない)」。

 なぜ記者をさげすむのか。それは台湾には現場に行って取材せず、SNSなどネットの情報だけで記事を書いたりして、間違った情報を流す記者が存在するからだ。本来、記者は高度な専門性や倫理感が必要。台湾では事実確認などの基本動作を怠る記者がいるために見下されている。そのため、博士号を持つ私の琉球新報社への入社に、両親は強く反対した。しかし私は「日本では高学歴で社会正義を貫く人が記者職に就く」と説得して、入社を決めた。

 記者の仕事を始めて、全てがうまくいったわけではなかった。挫折はたびたびあり、辞めたい気持ちも常にあった。150文字の記事を完成させるまでに4時間かけるところから、数時間以内に千文字の深掘りニュースを書き上げられるまで鍛えられてきた。実はこの間、誰にも言えない無数の汗と涙を流した。

 

◆中国語でもニュース届けたい

高台から見る台北の風景=2019年7月、台湾新北市

 2022年、勤続10年を迎える。職業のキャリアとしては決して長くないが、短くもないだろう。かつて、恩師の沖縄大学の渡邉ゆきこ先生から「どの仕事に就いても、プロになるまでは、せめて10年かかる」と教わったことがある。台湾では、2、3年で転職するのがごく一般的だが、同じ職場に10年もいるのが珍しく思われる。

 外国人労働者と女性のそれぞれ働く現状と課題に興味を持ってきた。自分と同じ立場の「外国人労働者」と「女性」の現状を発信したい。出身地の台湾のトレンドについても、伝えたいことがたくさんある。

 10年を起点に、琉球新報が目指す「アジアへの発信」を一歩ずつ実現していきたい。出身地の台湾に向けて中国語で沖縄の最新ニュースをリアルタイムで届けられないだろうか。琉球新報を中国語圏域のみなさんに知ってもらい、最も信頼される中国語の沖縄ニュースサイトとして構築していく。次の10年間、沖縄が海外とつなぐ役割を努めていきたいと考えている。


呉俐君(う・りじゅん) 1983年生まれ、台湾・高雄市出身。2012年に琉球大学で社会学博士学位を取得し、同年入社。主に経済部で取材しており、台湾関係の取材や事業連絡なども担当。17年9月に社内留学制度を活用し、人生2回目の留学で米オレゴン州へ英語を学んできた。留学中、「リジュン記者のポートランド便り」も書いた。会社を離れると、なるべく日本語を使わない環境にいたい。米公共ラジオ局の番組を聴くこと、おいしい飲茶を発見・食べることが趣味。


沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。