首里城正殿の大龍柱の向きについて、国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」が1日、焼失前と同じ相対向き(向かい合わせ)で復元することを「暫定的な結論」として決定した。技術検討委は、前回の復元で基にした資料が正確であることや、向きの変更が行われたと考えられることなどを説明する。一方、写真や遺物などを根拠に正面向きであると指摘する識者からは、疑問の声が上がった。
前回の復元では「寸法記」(1768年)や尚家文書の「御普請絵図帳」(1846年)で大龍柱が相対向きに描かれていることを踏まえ、その通りに復元した。一方、1877年にフランス海軍が撮影した首里城の写真には正面向きの大龍柱が確認されたことを受け、判断に注目が集まっていた。
技術検討委の高良倉吉委員長は、1877年の写真について「突っ込んで議論した」とした上で「正殿の外部、内部ともに根拠にしてきた資料が『寸法記』と尚家文書。外面だけでなく、内部の内容も統一的に示すことを重視した」と話す。
技術検討委は1846年に相対向きだった大龍柱が、1877年までの約30年間に正面向きに変更したと判断した。ただ、変更した明確な証拠は見つかっていないという。
昨年11月に1877年の首里城の写真をシンポジウムで紹介した、神奈川大学の後田多敦教授は「30年余で向きが変更されたと結論づけているが、根拠が分からない。科学的ではない。確定している事実は(1877年には)正面向きということだ。暫定的な結論なら正面向きだろう」と指摘。今回の判断について「歴史の改ざんではないか」とも強調した。
グスク研究所を主宰する當眞嗣一氏は「(グスクの復元などの)整備というのは、今ある物(遺物)に基づいてやるものだ」と指摘する。県立博物館・美術館などに収蔵されている大龍柱の残欠(一部分)のノミ跡を踏まえ「正面向きしか考えられない」と話し、多様な視点が入る可能性がある絵図や文字資料ではなく、現物で判断するのが基本だと語った。(古堅一樹)