戦争体験を語らなかった母が「遺言状」に書いた鮮やかな絵と非戦の思い 宮里キクエさん下<つなぐ戦の記憶>


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宮里キクエさんのメモから作成した冊子。「子どもたちをよろしく」と仁里さんの最期の言葉が記されている

 「これはお父ちゃん、これは仁志、これはおばあちゃん」。キクエさんは夫の仁里さん、次男の仁志さんらが亡くなったとみられる糸満市新垣でこうつぶやきながら石を拾い、遺骨の代わりとして骨つぼに入れたという。戦後、八重子さんはキクエさんと共に何度も新垣を訪れた。

 キクエさんは八重子さんら家族のため、軍作業やクリーニング店の下請け、新聞代の集金など懸命に働いた。苦労した母の姿を見てきた八重子さん。夫を早くに亡くし、寂しい老後を過ごしたのではないかと心配したが、キクエさんの遺品を見つけ「救われた」と語る。

 沖縄戦を記録したメモと共に鮮やかな色使いの絵がたくさん見つかった。いずれも沖縄の自然や動物が描かれている。余白には「生きている尊さを実感している」「仁里さん今日の作品は何点」などと仁里さんへの思い、メッセージもしたためられていた。

 母の思いに触れ、遺言状の末尾に書かれた「二度と戦争はあってはならない、起こしてはならない」との思いを胸に生きる八重子さん。ただ、気がかりなことがある。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた基地建設。沖縄防衛局は2020年4月の設計変更申請で、土砂採取の候補地に父らの遺骨が残る「南部地区」(糸満市、八重瀬町)も追加された。

 遺骨が残る土砂を基地建設に使うことは「戦死者への冒とくだ」と訴える、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表の言葉にも共鳴する。「いても立ってもいられない。自分に何かできることはないか」。八重子さんは母の言葉を何度もかみしめている。
 (仲村良太)


チラシ裏の「遺言状」 家族の戦争初めて明かし「私の終戦記念日は今日」 宮里キクエさん上<つなぐ戦の記憶>
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