那覇市国場に海を越えて久米島産の石碑 島出身者が調べたいきさつとは


社会
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旧仲里村の輝石安山岩が使われた石碑の前で撮影に応じる元村長の平良曽清さん(前列左から2人目)ら=7日、那覇市の国場公民館前

 那覇市国場に、久米島産の「輝石安山岩」を使った碑がある。3カ所に建っており、いずれにも旧仲里村の寄贈と刻まれている。なぜ国場に久米島の石が―。久米島出身で那覇市在住の吉濱秀彦さん(64)が不思議に思って調べ始めたのがきっかけで、同村の平良曽清・元村長(92)らが7日、国場公民館に集まりいきさつを振り返った。

 「国場公民館」「登野城之御嶽」、地域の農業の神としてあがめられる「土帝君」の場所を示す三つの石碑に、それぞれ久米島で採れる輝石安山岩が使われている。完成は1995年だ。

石碑の裏には「輝石安山岩 寄贈 仲里村」と彫られている

 終戦直後から、国場には久米島から出稼ぎでやってきた人が暮らしていた。特に旧仲里村出身者が多かったという。95年の公民館建て替えに際し、当時の国場の自治会長らが仲里村を訪れ、石材の使用を申し入れると、村長の平良さんは多くの人が国場に移り住んでいることを踏まえ、「トラック1台分」の寄贈を快諾した。結果的に幅1メートルを超す3個の輝石安山岩を調達し、国場集落の公民館以外の石碑にも使用できた。

 現在の国場自治会長を務める嘉数芳則さんは95年当時、公民館の設計施工の担当者として申し入れに同行した。「輝石安山岩は基本的に島から持ち出しは禁止だと言われていた。石を通じて久米島出身者がふるさとを思い出せることも説きながら、お願いした」と振り返る。

 一連の経緯が判明し、吉濱さんは「石を通じて、久米島と国場の絆を知ることができる。人々の記憶から消えないように記録することには大きな意味がある」と語った。平良さんは「石の文化、伝統はこれからも大事にしたい」と強調した。

 (當山幸都)