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過渡期の沖縄人(中) アイデンティティーを築く<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 筆者が職業作家として取り組んでいる主な分野は、キリスト教神学、宗教、ロシア政治、日本政治、マルクス経済学、インテリジェンス、教育、沖縄の八つだ。これらのテーマに取り組みながら沖縄人であり、日本人であり、キリスト教徒であるとはどういうことかについていつも考えている。言い換えると筆者自身が沖縄人としてのアイデンティティーを確立するためにさまざまな知的遍歴を余儀なくされていると言えよう。

 沖縄人は少数派だ。少数派が生き残るためには多数派がどのような論理で動いているかに敏感でなくてはならない。従って関心領域も広がるのである。

 過渡期の沖縄人として筆者は先輩から渡されたバトンを次世代に引き継がなくてはならないと考えている。筆者は数本のバトンを預かっている。

 第1が母(佐藤安枝、旧姓上江洲)から預かったバトンだ。母は昭和女子高等女学校2年生(14歳)のとき陸軍第62師団(通称「石」部隊)の軍属として沖縄戦に従軍し、九死に一生を得た。沖縄を二度と戦場にしないということが母の願いだった。2010年7月に母が死ぬ直前にも「優君には作家として沖縄が戦場にならないように、沖縄人と日本人が本当に仲良くなれるように努力してくれ」と言われた。

 母から沖縄戦について聴き取った記録がある。また母が作成した手記もある。「母の沖縄戦記」というようなタイトルで本にまとめなくてはならないと思っている。

 第2が作家の大城立裕先生から託されたバトンだ。大城先生からは、往復書簡の提案をいただいた。17年4月9日の大城先生からのメールを紹介する。

 <最近考えていることがあります。「沖縄問題」を膠着(こうちゃく)状態から解き放ちたいのです。政府は言うことを聞く気配がないので、そのうち沖縄人がくたびれるのではないかと思います。視野をそろそろ辺野古よりはるか遠くに放ってみませんか。「同化と異化」と言いだして、同化一辺倒の人達から嫌われたのが、50年前ですが、こんどは、これから50年あとのことを考えてみたいのです。いきなり「独立」論では説得力に欠けますが、とりあえず「アイデンティティー」を築き、維持することを、考えてみませんか。具体的に「言葉」の運動をどう起こすか。伝統芸能の殿堂を、今の国立劇場おきなわの国庫負担から解放するには? 農漁業を国の補助から解放するには……その他いろいろ。この話を、(文芸誌)「新潮」の往復書簡でやってみてはどうかと考えています>

 早速、「新潮」の矢野優編集長と話し合い、企画が通り、第1信を筆者が書くことになったができなかった。筆者自身の沖縄人としてのアイデンティティーが、沖縄に住んだことがない遠距離ナショナリズムで、また外交官だった過去があるために国際政治を理想主義で語ることが自らの良心に反するので、なかなか適切な言葉が見つからなかったからだ。そうして3年近くがたってしまった。ようやく第1信の構想ができたので大城先生と連絡を取った。すると20年3月1日に次のメールが大城先生から届いた。

 <あいかわらずお忙しいことと思います。そのなかで、往復書簡の意欲を漏らされたことに、敬意を表します。ただ、当方の都合が良くありません。(中略)体調を崩しまして、2月20日のメモには、「来年あたり死にそうな予感」とあります。今年の誕生日までもつかなと思う事があります。医者の診断では血液不足ということです。昨日、今日と一日中眠ってばかりいます。というわけで、往復書簡を一応延期ということでお願いします。大兄の単発が可能なら、読みたくもあります。当方の仕事は、たぶん三月中に文庫本を一冊出して、打ち止めということになりましょう>

 大城先生は同年10月27日に95歳で亡くなられた。大城立裕論を書き、その思いを次世代の沖縄人に伝えることもしたい。

(次回に続く)
(作家、元外務省主任分析官)