「戦争が始まったのかと思った」―。沖縄県名護市安部で生まれ育った比嘉良枝さん(91)は2016年12月13日の米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイの墜落当時を振り返り、声を震わせた。14日には辺野古新基地建設に向け沖縄防衛局が土砂を投入してから3年になる。「飛行場ができると、いつ墜落するか分からない米軍機が来る。次の世代のため反対し続けたい」と語気を強める。
農業などに従事しながら積極的に地域行事などに参加してきた。墜落の翌日の朝、友人から「良枝ねえさん、大変なっているよ」と電話があった。海岸に急ぐと、破損した機体と米兵の姿が見え、規制線が張られた海岸は騒然としていた。「近くであんな光景を見ると迫撃砲や艦砲射撃の音がよみがえる」と顔をしかめる。
貧しい家庭で育ったが、両親はおなかのすいている人たちを放っておけず、イモを分け与えるなど優しい人たちだった。8人きょうだいで家族全員、安部の防空壕に身を隠して無事だった。だが、中城村から避難してきた外国人女性の子ども2人のうち、5歳ぐらいの男の子が迫撃砲の犠牲になった。「戦争は何もしていない小さな子の命まで奪うものだ」
戦争体験から反戦平和を貫く。5年前のオスプレイ墜落から2カ月後、「オスプレイNO 安部のオバア達の会」を結成した。平和な集落、暮らしを守りたいと願い集会などを催した。
脚が不自由になり、ほとんど外出できていないが、米軍機の事故や辺野古新基地建設などの報道を新聞で追っている。「事故が起きてもきちんと説明しないまま、また頭上を飛行している。沖縄の人を人間だと思っていないのではないか」。“わが物顔”で飛行するオスプレイに比嘉さんは改めてノーを突き付けた。
(松堂秀樹、写真も)
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