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ルーツは「チャンプルー」 差別乗り越え人気DJに 元ラジオパーソナリティ マスミ・ロドリゲスさん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>


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インタビューに答えるマスミ・ロドリゲスさん=10月26日、北谷町のシーフードハウスピア54(喜瀬守昭撮影)

 聞いている側も、思わずつられて笑ってしまう。そんな笑い方が好評を得た。持ち前の明るさが、多くのリスナーに元気を与えた。ラジオ番組で長年パーソナリティーを務めたマスミ・ロドリゲス(56)は相方ケン・ロビラードとの掛け合いで多くの若者の心をつかみ、番組は瞬く間に人気を博した。

 日本語、ウチナーグチ、そして英語。三つの言葉を自在に操り、軽快なトークを繰り広げる。1980年代後半に登場した元祖「チャンプルーDJ」の存在はリスナーに新鮮かつ愉快に映った。2人が出演するエフエム沖縄の番組「ポップンロール・ステーション」は注目を集め、当時の若者なら誰もが知っていると言われるほど著名だった。

 人気者となったが、そこに至るまでの過程は終戦後の「アメリカ世」から、日本復帰を経て「ヤマト世」の現在へとつながる沖縄の戦後史と深く関わっている。ベトナム戦争時に沖縄に来た米国人の父とウチナーンチュの母との間に生まれたマスミ。現在はあこがれの対象として見られる「ハーフ」だが、差別を受けた時代があった。

 小学生の時に「マスミー、あんたたちアメリカーがウチナーンチュを殺したんだよ」と言われたこともあった。そんな境遇を持つマスミが、ラジオを通して人を勇気づける存在となった。

 沖縄と米国の血を持つマスミは「アイデンティティーが二つあってもいい」と話す。その言葉に込められた多様性には、沖縄がたどった歴史が刻まれている。

(文中敬称略)

(砂川博範)


 沖縄が日本に復帰して来年で半世紀。世替わりを沖縄とともに生きた著名人に迫る企画の14回目は、ラジオパーソナリティーとして活躍し、現在は司会業に携わるマスミ・ロドリゲスさん。差別を受けた過去を持つ彼女が、ラジオを通し人を勇気付ける存在になるまでの歩みをたどる。

 

(その2)「沖縄らしさ失わないで」日琉米の狭間で育んだ独特の語り に続く