「間違ってなかったんだ」北山の大城監督、試行錯誤の指導に大きな手応え<巻き起こせ旋風 県勢駅伝の歩み>4


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選手たちの練習を見守る大城昭子監督(右から2人目)=11日、今帰仁村総合運動公園

 「間違っていなかったんだな」。ようやく入り口にたどり着いた感触だった。北山高男女駅伝部の大城昭子監督は、この2年掛けて新たに取り組んできた練習法により、1年生も含めてベストタイムの成長曲線が一気に上がってきたことに、大きな手応えを感じている。

 指導者になる前は、自身も長距離走者として活躍した。駅伝を初めて走ったのは大学1年の時。その年に開幕した全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に参加したのをきっかけにのめり込んだ。

 そのまま第1回大会から7年連続で出場。区間勝負はフィールドと同じく個人競技に変わりないが、チームでたすきをつないでゴールを目指す一体感と熱量に感動し、駅伝の指導者になる決意を固めた。

 指導者を目指した大きな理由には、当時自らが味わった経験もある。アンカーで最終走者として競技場に入り「最後という屈辱。子どもたちにさせたくない」という思いが強く芽生えたという。

都大路は指導者として男女通算9度目の挑戦となる大城昭子監督

 名護高女子駅伝部の監督として2002年に全国の舞台を踏む。しかし成績は最下位の47位。次の挑戦は06年で、そこから4年連続で出場を果たす。07年にはトップまで4分差に迫る1時間11分台まで記録を伸ばし、歴代でも好記録の34位に入る結果を残した。

 女子で実績を重ね、北山に赴任した14年から男子も一緒に受け持った。女子以上に全国との差を開けられていた男子。「いつまでも沖縄は弱いという代名詞を続けるわけにいかない」。底上げは大きなテーマだった。

 しかし沖縄の練習環境は、夏場は暑さで練習量が増やせず、日陰も少ないなど県外に比べ欠点が多い。さらに競技人口が圧倒的に少なく、その差をなかなか詰められずにきていた。

 そんな中で、久米島や波照間島など離島からも中学生に声を掛けるなど地道に選手を集め、指導の仕方、育成体制などを研究し試行錯誤を続けてきた。

 大城監督は「まだ完成ではない」と発展途上としながらも、考案した「北山式ドリル」で「選手たちは体つきも良くなって、フォームなど走り方も変化しタイムが伸びている。体の使い方など余裕度がだいぶ出てきたのを感じる」という。全国は7区間全てに5000メートル14分台の選手を送り込めるまでになった。

 今年は女子も全国出場を決めた。男女通算で9度目となる都大路。「男子は集大成となる。15位が目標。女子は次につながる一歩にしたい」と力を込めた。

 県勢では全国高校駅伝の第一人者として歩みを始めた北山が、男女同時出場で県内長距離界をもり立てる。

(謝花史哲)