沖縄空手は世界へどのように伝わったのか? 空手会館で企画展を開催 豊見城


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沖縄空手が世界に広がった背景をまとめた資料が並ぶ企画展「沖縄空手、世界へ」

 沖縄空手が世界に広がった背景を探る企画展「沖縄空手、世界へ」(県主催)が豊見城市の沖縄空手会館企画展示室(資料室内)で始まった。来年3月22日まで。世界中に1億3千万人の愛好家を数え、東京五輪大会で形が正式種目として選ばれるほどに普及した空手。近代以降、どのように世界に伝わっていったのか。大きく四つの類型が考えられるという。展示資料から、その内容を紹介する。(謝花史哲)

■教育機関で導入

 戦前、明治時代の近代化の中で、糸洲安恒らによる師範学校や中学校での空手体操の導入をきっかけに、空手(唐手)が教育で取り入れられるようになった。糸洲の弟子の富名腰義珍は1922年、東京で開かれた運動体育展覧会に県の推薦で唐手を披露し、「琉球拳法唐手」が知られるようになる。そこから関東、関西の大学で新武術として唐手部が創設されるなど普及していった。

■移民による広がり

 戦前、戦後にハワイや北米、南米などへ沖縄から多くの住民が移住した。初期の移民の中には空手に精通した人も多くおり、各地のコミュニティーの行事で披露されることがあったとされる。移民船での型の演武記録や移民先の邦字新聞に、その活躍が見られる。現在、県系移民の子孫らは世界に約45万人に上ると言われ、普及の一因となっている。

戦前、移民によって空手が世界に伝わる様子が分かる資料

■戦後の米兵

 戦後、米国が統治していた沖縄で、多くの米兵が空手に親しんだという記録が残る。当時の報道記事によると、1946年7月4日の米国独立記念日の催しで、宮城長順や喜屋武真栄らが唐手やサイなどを披露した。1960年代初めから、米兵らが沖縄の道場に出入りした状況が新聞で散見されるようになるなど、米兵が空手を学ぶ様子がうかがえる。中には有段者となり帰国してから道場を開く者も珍しくなかったという。

■各流派の発展

 戦後、沖縄文化の隆盛の中で空手も例外なく栄えていった。沖縄戦を乗り越えた空手家たちは戦後各地で空手の指導を始める。戦前の流派に加え、各地に町道場が増えて、流派の多様化がみられるようになり、主だった流派の道場主が中心となって沖縄空手の発展の基盤づくりが始まった。1967年には全沖縄空手道連盟が結成され、復帰後、各流派が世界へ向けて普及戦略の道を模索し始めた。

企画展「沖縄空手、世界へ」の開幕を祝うテープカットを行う関係者ら=1日、豊見城市の沖縄空手会館

<メモ>

 展示の見どころは(1)空手が世界中に普及した類型を四つに分けて紹介(2)世界の空手家に対する意識調査から見えてくる沖縄空手像(3)世界で活躍する沖縄空手家の活動を写真で紹介(4)世界9カ国11人の空手家インタビューメッセージ動画。観覧料金は一般310円(65歳以上100円)、高校生・大学生210円、小学生・中学生100円。問い合わせは沖縄空手会館(電話)098(851)1025。