1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面していた、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
◇ ◇ ◇
復帰の年となる1972年の1月1日の琉球新報1面トップ記事は「〝試練の年〟幕あけ/当面の課題は〝通貨〟/きびしい内外情勢」と、復帰への船出が順風満帆とはいかない現実を伝えている。前文では「『復帰の年』はしかし、沖縄にとって、これまで以上に厳しい年だ。(中略)制度の切り替えにより、新たなきびしい条件への投入ということでの『復帰不安』の根は深い」と展望している。
現在のわれわれは返還期日が5月15日だとを知っているが、1972年1月の時点では決まっておらず、記事では「四月一日が絶望的になり六、七月説が強まってきた」と言及している。
71年の円切り下げに対しても「県民の不安を一層決定的なものにした」と県民生活への影響を懸念している。これに関連して別記事では「〝賃金保証〟でスト態勢/労働団体 春闘前の決着狙う」の見出しで、労使間の給与交渉も大きな課題となると紹介している。
政治課題の大きな一つとなっていた自衛隊配備についても「いよいよ〝自衛隊上陸〟/防衛庁 着々と基地増強へ」と5段見出しの記事を掲載している。
ベトナム戦争の米軍による北爆をめぐる共同電も載せている。
◇ ◇ ◇
琉球新報デジタルは復帰50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。