3万人大歓声に鳥肌 レスリング総合優勝、海邦国体で旗手 屋比久保さん<県勢アスリートの軌跡>


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海邦国体の開会式で、旗手として沖縄選手団の先頭を堂々と歩く屋比久保さん=1987年10月25日、県総合運動公園陸上競技場

 アーケードをくぐった瞬間、3万人余りの大観衆による割れんばかりの拍手と歓声が全身をたたいた。「うわあと圧倒されて、鳥肌が立った」。882人が太い列をなし、しんがりの沖縄選手団の旗手を務めたレスリング元日本王者の屋比久保さん(当時24歳)が興奮気味に振り返る。1987年10月25日。日本復帰15周年を記念し、開催県の全国一巡を締めくくる第42回国民体育大会(海邦国体秋季大会)の開会式が盛大に開かれた。沖縄は総合優勝を果たし、県民は熱狂した。

旗手を務めた思い出を話す屋比久さん=2021年12月、名護市の北部農林高(高辻浩之撮影)

 

 今や“お家芸”となったなぎなたでは海邦国体に向け81年に県連盟が誕生。ハンドボール会場の浦添市はその後、多くの日本代表を輩出する「王国」となった。成年グレコローマンスタイル82キロ級で頂点に立ち、レスリングの総合優勝に貢献した屋比久さんは「各競技で指導者が育ち、沖縄の競技力が上がるきっかけだった」と言い切る。

 あれから25年。長男・翔平は昨夏の東京五輪グレコローマンスタイル77キロ級で県勢初の個人種目でのメダルを獲得した。自身も五輪出場を夢見ただけに「感慨深い。日々の練習のたまもの」と、隔世の感のある沖縄スポーツに思いをはせた。

(長嶺真輝)

 


やびく・たもつ 1962年12月17日生まれ、59歳。南部農林高、国士舘大を経て89年に全日本選手権グレコローマンスタイル82キロ級優勝。同年に世界選手権出場。現在は北部農林高監督。

▼【復帰50年 県勢アスリートの軌跡】