夢洲カジノと辺野古 カチカチ山は軟弱地盤 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 大阪湾の「夢洲(ゆめしま)」に、カジノが入るリゾート施設ができるらしい。廃棄物を埋め立てた人工島に大きな建造物を建てるため、液状化と土壌汚染対策工事が必要で、およそ800億円の巨費が投じられると報道された。札束を軟弱地盤に埋めるに等しいこの愚策は、辺野古新基地建設とよく似た政治の構図だ。むしろ、桜と紅葉を人工島いっぱいに植え、季節を楽しむ観光客に食い倒れ大阪名物の屋台でも出せば、万人が楽しめるリゾート地となる。

 誰が裏で糸を引いているのか。安倍、菅政権で補佐官だった和泉洋人氏が、大阪府、市の特別顧問に就いた。公私混同のコネクティングルーム不倫で浮名を流した同氏は、国交省出身だ。国際会議場を作るという名目はあるものの、賭博が主な稼ぎになることは間違いない。

 必ず来ると言われている東南海地震に襲われたら、人工島の豪華施設が廃虚となる。1923年の関東大震災のエネルギーは原爆768個分に相当する、と角田史雄埼玉大名誉教授が著書に書いている。役人の机上の計算が大きく外れ被害を出した例は限りが無いが一例を挙げれば東京湾埋め立て事業で造成された千葉県千葉市幕張地区のオフィス街、幕張駅などは東日本大震災で地割れし、地下水や土砂が噴出した。

 人の懐を当てにして稼ぐ夢洲の統合型リゾート構想は、「カネが欲しい、もっと欲しい」と突き進んだ戦後日本の落ちぶれた姿だ。大負けした客が破産しようが首をつろうが、裏の胴元である政府は責任は取らない。企画当事者の役人たちもいずれは退職金をもらって悠々自適で責任は問われない。砂上の楼閣、夢洲のカジノに集まる観光客が、ウサギにだまされて泥船に乗り、エライ目に遭ったカチカチ山のタヌキに見えてくる。

 威容を誇る国会議事堂も、危うく埋め立て地に建てられそうになった歴史がある。明治19年(1886年)、近代国家草創期の明治政府は国会議事堂と官庁の集中計画に乗りだした。議事堂の建設候補地に政府が挙げたのが陸軍日比谷練兵場の跡地だ。

 計画の具体化のために明治政府に招かれたお雇い外国人ヴィルヘルム・ベックマンが、この政府案に難色を示した。江戸時代初期に日比谷入江を埋め立てた軟弱地盤に大きな建造物を建てるのは危険だとして、高台の突端にある永田の丘を代替地に提案した。外務大臣井上馨はこの専門家の提言に耳を傾け、永田の丘に建設が決まった。

 しかし実際に現在の議事堂が建設されたのは、驚くことに昭和に入ってから、計画から半世紀もたっていた。いくつかの戦争と自然災害、さらに財政難もあって延期に延期を重ね、その間は仮議事堂を転々とした。広島に大本営が移された時には、広島に仮議事堂が置かれた時期もある。もしこの時、専門家ベックマンの意見に耳を貸さず、埋め立て地に建てていたら、議事堂は今頃ピサの斜塔のように傾いていたかもしれない。

 辺野古新基地の建設費は、絹ごし豆腐より軟らかい地盤の補強を含め約9300億円という。この深さの工事の経験も無く、賭けのような危うい工事だ。現代版カチカチ山では、米国がウサギだ。米国の手先となって「自虐的世話役」をかいがいしく勤めるウサギの着ぐるみの外務省高官たちが、自国のタヌキをだましたりいじめたりで昔話よりたちが悪い。着ぐるみの借り賃の「思いやり予算」も増える一方だ。ウサギを言い負かす知恵も覚悟もある令和のタヌキ総理が現れないと、この国、とりわけ沖縄は世界で最も危険な島になりかねない。米軍基地は抑止力だとウサギたちは言うが、戦わずして勝つには敵を作らないことだ。

 昔話「カチカチ山」の私流の解釈は、ウサギは白絹を着た懲罰権を持つ支配者、爺婆(じじばば)は土地を持ち白絹に直訴できる階級、タヌキとは、逆らえば懲罰され、丸裸にされる庶民だ。

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)