「鉄の暴風」現場を体感、沖縄戦を記す 金城実倫(那覇・南部班)


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written by 金城実倫(那覇・南部班)

 沖縄戦の取材が終わった後は、必ず体験者の避難した場所をたどっている。体験者がどのような思いで、「鉄の暴風」の中をくぐり抜け、必死に生き延びてこられたのか。歩いた場所を体感しながら記したいと思うからである。

 昨年12月の「未来に伝える沖縄戦」では、南城市玉城前川在住の徳田ユキさん(85)の体験を取材した。徳田さんは当時小学3年生。沖縄戦では家族を失い、1人だけ生き残った。

海辺にある岩=糸満市内

 爆弾の破片が壕内を貫通して妹が犠牲となった糸満市真壁の壕は、現在の真壁公民館付近にあったという。訪れると、地元の人たちの楽しげな会話と小鳥のさえずりが聞こえた。

 避難中、徳田さんはアダンの葉をつかまえながら海へと下りた。海沿いに生えるアダンの葉に触れると、指にトゲが刺さった。小学生の少女にとっては痛くてつらかったと思う。

 浜辺近くの岩陰に隠れた徳田さん。近くでは日本兵が次々と銃で自決する音を聞き、その音は今も忘れることがないという。その場所かは分からないが、日本軍の部隊が最期を遂げた慰霊碑近くの岩陰に隠れてみた。優しい波の音と、砂浜でキャンプを楽しむ子どもたちの笑い声が聞こえた。

 徳田さんが語った「戦争を繰り返してはいけない」―。言葉の重みをしっかりと心に刻み、これからも沖縄戦体験者の声を紙面で残していきたい。

(南城市、与那原町、座間味村、渡嘉敷村担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。