<書評>『小林秀雄の思想 より自由な人生のために』 「生命の輝き」持った天才とは


社会
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『小林秀雄の思想 より自由な人生のために』西石垣見治著 幻冬舎・1650円

 この本を手に取ると、著者の小林秀雄に対する熱い情熱に驚かされる。小林が掘り当てたものは実存に根を張った生命の輝きだというのである。彼は決してその真理を離さなかったし、彼の批評活動はすべてその輝きを文学や芸術、哲学を通して解放することであるとする。その真理を言葉にするとあまりに平凡で単純なので、知識人には得てして誤解されるという。実生活における科学の万能性や効率性に慣れてしまったわれわれの思考が理屈でもってそれを捕らえようとしても捕らえきれないものだという。「方法としての常識」では、曇りのない心でとらえれば単純なものをいかに理解させるか苦心したがゆえに、小林の文章は難解になったという。著者の文章はまた同じように難解になってしまった。

 生命の輝きとしての天才は世界の一流の文学作品や哲学には共通しているという。その観点から本居宣長やベルクソンが論じられる。その中で、その輝きを共有する、プラトンやデカルト、ドストエフスキー、アインシュタインなどが引用されている。

 作家凡庸主義を唱えた菊池寛や小林秀雄の論敵であった正宗白鳥がその輝きを持っている文学者として評価されているのに対して、日本文学史において不動の地位にある夏目漱石が似非(えせ)天才として論じられていることに驚くが、漱石の代表作「それから」の分析をもとにした著者の論を読むと納得させられてしまう。柄谷行人もその輝きを持たない狡猾(こうかつ)な才能として糾弾されている。その欠落を埋めるために、難解で無意味な言葉を弄(ろう)しているだけだということである。

 都市の風景を眺めると、それは脳によって作り上げられた合理的・機能的な空間である。原生林や山、川すなわち自然、里山を眺める時に感じる心の伸びやかさがない。それが都会の風景だと言ってしまえばそれまでだが、われわれは何かを失ってしまったのかもしれない。だが都会の風景が朝日や夕陽に赤く染まるとき、そこには不思議な美しさがある。

 この本を読んで、心に光が差し込むようなすがすがしい思いを持った。

 (山井徳行・元名古屋女子大学教授)


 にしいしがき・けんじ 1950年石垣市生まれ、文芸評論家。著書に「創造的沖縄とアイデンティティ―近現代沖縄史の哲学的総括と創造的飛躍」がある。