沖縄帰還の「玄関口」に 中城で戦後引き揚げ展 証言も募集


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 【中城】第2次世界大戦後、沖縄帰還の中心地となった中城村・久場崎港での引き揚げを紹介する企画展が1月29日、村護佐丸歴史資料図書館(濱口寿夫館長)で始まった。1946年の引き揚げ開始から昨年で75年となったことに合わせた記念企画で、3月末まで。入場無料。旧満州やシベリアなどからの帰還地となった京都府・舞鶴港を紹介する内容も3月に展示予定。

 久場崎港は、沖縄戦で上陸した米軍によって45年5~6月に建設された。終戦後の46年8月から12月まで沖縄に帰還する玄関口としての役割を担った。主に日本本土や台湾のほか、サイパンやテニアンといった南洋群島からの帰還を受け入れた。本土からの帰還は約18万人(奄美群島への帰還を含む)で、南洋群島からは約3万人、台湾からは1万数千人だったという。

 企画展は、琉米歴史研究会所蔵の写真を活用し、引き揚げ証明書などの資料を通して当時の状況を解説している。サイパンやシベリアからの帰還者の半生や、港に到着すると殺虫剤DDTをかけられた体験談も紹介している。濱口館長によると、各地から沖縄への帰還者数などを表した地図の作成に苦労したという。久場崎収容所の概要を知るため、証言も募集している。

 濱口館長は「沖縄本島には当時約30万人おり、推定約19万人の引き揚げは社会に大きなインパクトを与えた。その中心が久場崎だったことを知ってほしい」と話した。久場崎には現在、「戦後引揚者上陸碑」が村によって建てられ、1日から自由に見学が可能という。

 舞鶴港の展示は、収蔵資料がユネスコ世界記憶遺産に登録されている舞鶴引揚記念館の巡回展となる。13日午後1時からは村役場で引き揚げ記念シンポジウムが開かれる。オンライン視聴もできるが、会場は定員40人で申し込みが必要。問い合わせは村護佐丸歴史資料図書館(電話)098(895)5302。
 (金良孝矢)

久場崎に着いた引き揚げ者。久しぶりの故郷に戻ったからか笑顔が見える=1946年(琉米歴史研究会所蔵)
引き揚げ計画の最初の船から見た久場崎港に入る風景。山の上に見えるのは久場の丘陵「台(デー)グスク」=1946年8月17日(琉米歴史研究会所蔵)