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宜野座高校(7)PC1台から情報通信、入学時の気づきから言語の世界へ 仲地孝之さん、仲間恵子さん<セピア色の春―高校人国記>


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宜野座高校の校舎内。生徒のメッセージが並んでいる

 琉球大学情報基盤統括センター教授の仲地孝之(54)は宜野座高校の41期。情報通信に関わる学生指導や研究活動と並行して、学内のインフラ整備に携わる。「宜野座高校は好きなことに打ち込める自由な校風だった。それが今の自分の活動につながった」と語る。

 1967年、宜野座村宜野座に生まれた。伯父に、宜野座高の先輩で小説家・詩人の大城貞俊がいる。宜野座小学校では野球や柔道、宜野座中学校ではバレーボールに汗を流した。地域の八月あしび(豊年祭)で棒術を披露するなどスポーツと伝統芸能を楽しむ少年だった。

仲地 孝之氏

 83年、宜野座高校に入学。創部したばかりのコンピュータークラブに入った。部員は数人。本を頼りに試行錯誤しながらパソコンの基礎を学んだ。「学校にあった1台のパソコンを友だちと代わる代わる操作して遊び、簡単なプログラムも作った」

 スポーツ少年だった仲地は数学や科学にも関心を抱き、「なぜ、どうしてこうなるの」という疑問を探求する生徒でもあった。在学中には沖縄青少年科学作品展で県知事賞を受賞した。

 研究者を目指し、琉球大学工学部に入学。さらに慶應義塾大学大学院で博士号を取得し、日本電信電話(NTT)で研究活動を続けた。米スタンフォード大学でも客員研究員を務めた。

 データサイエンス、AI(人工知能)、セキュリティー信号処理など情報通信の分野を専門とし、国内外で最先端の研究を続けてきた仲地は2021年4月、これまでの経験を生かし、沖縄の情報通信の発展に寄与することを願い、琉球大学に赴任した。

 沖縄が好きだということも帰郷の理由だった。

 「沖縄の伝統文化が好きで居心地がいい。この環境の中で自分の研究を進めることが理想だ」

 超高精細映像プロジェクトも始動した。沖縄・奄美の自然遺産登録に着目した自然保護、遠隔医療への応用など「沖縄のためになる、面白い仕掛けを考えたい」と仲地は意気込む。

仲間 恵子氏

 沖縄の島々の言葉を研究する仲間恵子(47)は48期。県内大学で指導しながら、沖縄言語研究センターの研究運営委員を務めている。

 1974年、金武町で生まれ育った。金武小学校、金武中学校を経て宜野座高校に入学した。「私たちは団塊ジュニアの世代。生徒数は多かった」と語る。出身中学でイントネーションが異なることに新鮮な驚きを覚えた。

 進学を意識し、軟式テニス部で活動しながら名護市内の学習塾に通った。高校の国語教師を目指した。詩人・吉野弘の詩に親しみ、教科書に載っていた政治学者・丸山真男の評論「『である』ことと『する』こと」に興味を抱いた。

 おしゃべり好きだった。「大きくて、よく通る声なので、声を出せば周囲は振り向いてくれた」というが、不安も感じていた。

 「私の言葉は相手に伝わっているだろうか、相手を傷つけていないか、と考えていた。きちんと言葉を使えるようになりたかった。今思えば思春期だったのだろう」

 琉球大学の旧国文学科に進学。日本語のことをもっと学びたいと願っていた仲間に大学教師は「あなた以外に金武の言葉を研究する人はいるの?」という意外なことを告げた。

 教師の導きもあり、琉球方言研究クラブで活動する。金武をはじめ県内各地の言葉を調査した。辞書にない言葉に触れ、集落や島ごとの言葉の相違を調べ、体系付けることに知的好奇心をかき立てられた。

 地域に残る言葉を求めて県内各地を訪ねる。同級生のイントネーションの相違に驚き、言葉にこだわってきた仲間の探究心は尽きない。

(文中敬称略)
(編集委員・小那覇安剛)


 【宜野座高校】

 1946年2月 祖慶、福山、古知屋、中川、久志、大浦崎の各校を統合し、現在地に宜野座高等学校として創立
  48年4月 6・3・3制実施、新制高校として出発
  60年4月 琉球政府立宜野座高校に移行
  72年5月 日本復帰により県立高校に移行
 2001年3月 21世紀枠で春の甲子園に出場、ベスト4。8月、夏の甲子園に出場
  03年3月 春の甲子園出場