【寄稿・石川文洋氏】米軍支配下50年代の沖縄を凝縮 劇団文化座公演「命どぅ宝」を見て


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石川文洋さん

 東京で1月28日に上演された、劇団文化座公演「命どぅ宝」を見た。米占領下の伊江島で土地接収に抵抗した阿波根昌鴻(しょうこう)と、反基地運動の先頭に立った政治家・瀬長亀次郎が主人公の同作は、50年代の「沖縄の米軍支配の歴史」を見事に表現していた。
 
 瀬長は、1954年に沖縄人民党弾圧軍事裁判で2年間投獄され、57年には米軍によって那覇市長から追放された。同じころ、銃剣で武装した米兵が、阿波根たちの住む伊江島の農村を破壊し、農地を奪い、ブルドーザーで基地にした。伊江島農民たちは、琉球政府前に座り込み、土地の返還を求める。主演の2人はもとより出演者一人一人の言葉に、50年代の沖縄の状況が凝縮されていた。

1990年、伊江島の阿波根昌鴻(石川文洋撮影)

 沖縄が米軍支配下に置かれることになった背景に、1940年代からの米軍と共産主義との戦いがあったことを知っていれば、劇をさらに深く理解できると思う。

 1947年、トルーマン米大統領が「共産主義封じ込め政策」を宣言。49年に米国が支援した蒋介石が敗北し、毛沢東主席の中華人民共和国が樹立された。50年に朝鮮戦争が始まった際は、沖縄の基地が活用された。46年からのインドシナ戦争で米軍は、ベトナム人民軍と戦うフランス軍を支援して、サイゴン(現ホーチミン市)に軍事援助団を置いた。私自身、高校を卒業した57年に沖縄へ帰った時、那覇軍港で、米軍支援の南ベトナム政府軍へ送る軍用品を扱う大勢の米兵を見た。

 米軍は「防共の砦(とりで)」にしようと、1952年発効のサンフランシスコ条約で沖縄を、米国施政下に置いた。そして基地拡大のため武装兵が、伊江島や宜野湾村伊佐浜、小禄村など各所の土地を奪った。

 同劇に登場する、瀬長や阿波根が残した数々の言葉に故人を懐かしくなり、観劇後、瀬長の著作「沖縄の心」と阿波根の著作「米軍と農民」を再読した。当時を知る世代も知らない世代も、観劇を機会に、50年代の状況を良く知ってもらえればと思う。
 (報道カメラマン)


 劇団文化座特別公演「命どぅ宝」は、10日午後6時半と11日午後2時に琉球新報ホールで開催される。13日には名護市民会館での公演もある。チケットは全席指定で一般前売3千円、高校生以下2千円。問い合わせ・申し込みは劇団文化座(電話)03(3828)2216、メールinfo@bunkaza.com