倉敷ダムの不発弾、過去に2000発見つかっていた…取水停止せず、県は非公表か


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 米国製の小銃弾やドラム缶などが見つかった倉敷ダムでは、2009年にも湖内で小銃弾約2千発などが見つかっていた。だが、沖縄県によると当時は取水を停止しておらず、発見について公表していなかった可能性が大きい。基地返還跡地である倉敷ダム湖底から見つかる軍関係の廃棄物は、今も続く沖縄の戦後処理や米軍基地問題の一端だ。米軍訓練や事故による汚染などによっても、県民の水がめは安全性を脅かされている。

 倉敷ダムで見つかった今回の不発弾やドラム缶について、現地の倉敷ダム事務所は7日に発見していたが、県河川管理課や企業局に報告したのは14日だった。県企業局は報告を受けた14日に倉敷ダムからの取水を停止した。マスコミ公表はさらに遅れて17日夜で、発見の10日後だった。

 玉城デニー知事は18日の定例会見で、公表が遅れた理由について「(ダム内で)陸地化した場所から不発弾が発見された。そのため、その他の場所にもあるのではないかと、現場確認に時間を要したと報告を受けている」などと説明した。

 倉敷ダムは日本復帰前の1961年に米国民政府が瑞慶山ダムとして設置し、当時は基地内にあった。95年までに返還され、96年から県管理のダムとして運用されている。倉敷ダムに限らず、県内のダムは米軍の訓練場などに近接する施設が多く、水質管理上の重大な事態が起きてきた。

 2007年には、東村の新川ダム・福地ダムで、ペイント弾や照明弾など米軍所有の弾薬類が大量に投棄されているのが相次いで見つかり、県議会が抗議決議するなど大きな問題となった。

 13年8月に米軍キャンプ・ハンセン内で起きたHH60救難ヘリ墜落事故では、基地内にある大川ダムが墜落現場に近く、宜野座村はダムからの取水を停止。村が求めていた立ち入り調査が認められ、取水を再開にするまでに約1年を要した。

 近年は在沖米軍基地から有機フッ素化合物(PFAS)を含む泡消火剤などが流出し、水道水の水源を含め河川や地下水を汚染している可能性が問題化している。

 (明真南斗、塚崎昇平)