<書評>『詩集 アンドロギュヌスの塔』 太古の記憶をさかのぼる


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『詩集 アンドロギュヌスの塔』下地ヒロユキ著 あすら舎・1540円

 私は〈口承〉と〈記載〉の間に、〈深淵〉があると考えている。日本祖語が、アイヌ語が、琉球語が、書き言葉(文字)に写されたとき、失った多くのものがあると考える。

 下地ヒロユキの新詩集では、〈口承〉のはるか彼方(かなた)に分け入り、そのありさまを「語り」「記憶」で描こうとしている。「先史」(「タベルの塔」)「何万年」(「眺望」「盲目の塔」「榕樹」「タベルの塔」「ヘラクレスの塔」)「十数万年前」(「バンジージャンプ」)「紀元前」(「草の塔」)等と、気の遠くなるほどの〈時間〉を一瞬にして跳び越えていく。「人頭数十万年分の死者」(「ウラハマ その三)など、すでに想像を超える。

 下地にとって、こうした〈時間〉こそ、〈太古〉と〈現代〉の〈深淵〉を如実に示すものなのであろう。

 「アンドロギュヌス」とは、「両性具有」の意味で、「旅芸人夫婦の塔」に顕在化される。M・エリアーデの『生と再生―イニシエーションの宗教的儀式』(東京大学出版会・1971年)によれば、それは「完全な存在」とされ、そこを通り抜けて「再び生まれる」=「成人」となる部族があるという。

 下地は、現代に埋もれた目に見えない〈遺構〉(=「塔」)を探り当て、あるいは掘り起こし、詳細に〈視る〉ことで、かたどっていく。彼の「塔」が、決して美しいとは言えない、生々しく醜く不気味な変容する存在であるのはなぜなのか。

 猥雑(わいざつ)な〈欲望〉(性・排せつ・食欲等)が、際限なく拡張され、内なる〈闇〉をより深くし、うずたかく積もっていくからなのではないだろうか。〈文明〉〈人類〉は、そのようにして、重ねられた〈歴史〉の連環なのではないだろうか。

 自らの身を削り、果敢に挑んでいく。こんな〈苦行〉でしか、描けない真実もあるのだろう。下地の〈苦しい夢〉は、さらに続くのだろう。

 (網谷厚子・詩人・沖縄高専名誉教授)


 しもじ・ひろゆき 1957年宮古島生まれ。第一詩集「それについて」で山之口貘賞受賞。「アンドロギュヌスの塔」は第四詩集。日本現代詩人会、日本詩人クラブ会員。詩誌「宮古島文学」同人。

 


下地ヒロユキ著
A5判 66頁

¥1,540(税込)