海越えた生きざまを本に レストラン営む県系人


社会
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「南米レストランの料理人 海を越えて沖縄へ 日系家族のかたいつながり」を出版した漢那朝子さん=宜野湾市嘉数のISSHO建築設計事務所

 南米などのスペイン語圏の暮らしや文化の取材をする漢那朝子さん(74)=神奈川県横浜市=が、県内でレストランなどを営む県系2世や3世の足跡を主にたどった「南米レストランの料理人 海を越えて沖縄へ 日系家族のかたいつながり」(ボーダーインク)を昨年12月に出版した。祖父母らが南米に移住した経緯や現地での暮らし、県内でレストランなどを開くことになったいきさつを紹介している。

漢那朝子さん(横浜市)出版 県内7店紹介 「前に進む」強さ描く

 漢那さんは両親が沖縄出身。ベネズエラ人と結婚し、1973年にベネズエラに渡り、10年間暮らした。83年に帰国後、スペイン語圏の取材などをしている。

 ベネズエラ育ちで宜野湾市内で設計事務所を営む息子の潤さん(45)は、県内各地の南米料理レストランを開拓。潤さんから沖縄にルーツを持つ日系人経営者の話を聞き、興味を抱いたことがきっかけで取材を始めた。

 アルゼンチンやペルー、ブラジルの2、3世の県系人10人と帰国子女1人を取り上げ、七つのレストランを紹介。両親や兄弟姉妹らと協力し、懸命に生きる姿を描く。県系人たちの生きざまに着目した家族の物語だ。

 取材の中で県系人たちから生きる力の強さを感じたという漢那さんは「みんな明るい。いじめにあってもめげないし卑屈にならない。どんな逆境にあっても前に進む。だからこそレストランを持つことができたんだと思う」と語った。

 (狩俣悠喜、写真も)