陣地跡や土器、人骨…与那原バイパス建設工事で多くの遺物を確認 発掘成果展でも展示


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展示されている与那覇旧日本軍壕跡から発掘された未使用手榴弾などの兵器類=与那原町コミュニティーセンター

 【与那原】3月に全線暫定開通予定の国道329号与那原バイパス建設工事に伴う周辺一帯での遺跡(埋蔵文化財)の発掘調査で、与那原、南風原の両町から多くの遺物が見つかった。調査結果は両町で報告書にまとめられ、発掘成果展でも展示され注目された。

 発掘調査は両町の教育委員会が「埋蔵文化財発掘調査支援業務」として、まず南風原町のファミリーマート与那覇店裏の与那覇グスク「グスクヌチジー」で、2010年に発掘区分1、2、3区に分けて進められた。1区がグスク時代の遺物包含層、2区の石畳道が近世から近代に属し、3区には日本軍によって構築された陣地跡などが確認された。18年の10月から11月にかけての本格発掘調査で、20代の人骨2体が見つかり糸満市の遺骨収集情報センターに届けられた。その他、兵器類、未発射弾、未使用の手榴弾(しゅりゅうだん)20発が出土している。

「与那覇グスク」の石畳の発掘調査現場=南風原町のファミリーマート与那覇店裏側(保久盛陽南風原町生涯学習文化課学芸員提供)

 南風原町の埋蔵文化財「与那覇グスク」では、琉球王朝時代の歴史の道痕跡は確認できなかったという。

 一方、与那原バイパス工事現場の埋蔵文化財「大見武古島遺跡」と「平良原の遺跡」「平良原の壕」の運玉森の中腹に所在する大見武古島遺跡からは、グスク時代の土器や中国産の陶磁器類が見つかっている。「平良原の遺跡」と「平良原の壕」は標高の高い位置にあり、沖縄貝塚時代後期の終わり頃からグスク時代にかけての集落跡とみられる。与那原町の始まりは上与那原からとする町の歴史記録を覆すものとなったという。

 「平良原の壕」は第2次世界大戦中に日本軍が使用していた戦争遺跡で、運玉森には中城湾からの米軍上陸に備えて日本軍が壕を構えていたという話もあったが、埋没し不明だった。今回の調査で壕内から食器や日用品のほか、壕入り口から日本軍の小銃弾や銃剣などが見つかっている。与那原町内の壕の発掘調査は今回が初めてという。

 當山健町教育長は「与那原町の歴史を理解する上で欠くことのできない貴重な史料を得ることができたと考えている」と序文で記した。
  (知花幸栄通信員)