ここ数年、まちぐゎーの至るところで工事を見かける。浮島通りの入り口近く、シャッターが下りたままになっていた建物の外壁が赤く塗り直されていることに気づいたのは、去年の秋のこと。そこには豚にまたがる女性の絵が描かれており、近くに「仲里食肉」の文字があった。
「うちはもともと、おばあちゃんが始めた店なんです」。そう聞かせてくれたのは、仲里光子さん(74)。光子さんの祖母・照屋ウシさんは、まだバラック建てだった時代の公設市場で肉屋を始めた。当時の風景を、光子さんは幼い頃から目にしてきた。
「あの時代の公設市場は、お客さんの側から見ると、どこからどこが一つの店なのか、仕切りがわからなかったんですよ。店をやっている側は認識してるけど、反対から見ると、仕切りもなくずらっと肉が並んでいてね。昔は冷蔵庫もないから、残った肉は塩漬けにして、冬だったらざるに入れて提げておく。昔はあんな感じでしたよ」
行事のたびに盛況
学校を卒業したあと、家業を手伝い始めた光子さんは、25歳で結婚。お相手は粟国島出身の仲里悦雄さんで、前回取材した「小禄青果店」の悦子さんの弟にあたり、のちに「丸安そば」を切り盛りすることになる。「結婚したのは、ちょうど復帰の3日前だったから、おぼえやすくて」。光子さんはそう言って笑う。
かつて豚は各家庭で飼われており、お正月になるとこれをつぶして食べていた。復帰を機に、内地のと畜場法と食品衛生法が適応されると、自家屠殺は「密殺」としてかたく禁じられるようになった。地方や離島においても、肉は家庭でつぶすものではなく買い求めるものに変わってゆく。
「昔はなにか行事があるとお肉が売れていたんです。この時期には遠足がある、この時期には運動会がある――部位もね、この行事だとロースが売れるとか、また別の行事だと三枚肉が売れるとかね、季節に合わせて準備していたんですよ。でも、道がきれいになり始めた頃から、行事のときにわざわざ市場まで買い物にくるお客さんが減り始めたんです」
悦雄さんと光子さんは、4人の男の子を育てながら働いてきた。その姿を、末っ子の尚起さん(40)は近くで見てきた。
「兄弟の中でも、自分が一番両親の近くにいたと思うんです」と尚起さん。「父と一緒に配達に出ると、帰りにマクドナルドに寄ってくれたんですよ。それがうれしくて、よくついて行ってましたね。それで小学校6年生のときに、全校生徒の前で将来の夢を作文して話すときに、『大きくなったら肉屋になって、父のようなハンバーグを作りたい』って書いたんです」
料理を学ぶ
その思いが高じて、中学生になると尚起さんの夢は料理人に変わった。そこには当時のテレビ番組『料理の鉄人』の影響もあったという。高校を卒業し、5年ほど家業を手伝ったのち、「仲里食肉」と付き合いのあった飲食店で働きながら料理を学んだ。
「上の兄が本土で仕事をしているのと、三男の兄貴は『丸安そば』を引き継ぐことになったので、自分が『仲里食肉』を引き継ぐことになったんですけど、料理を学んだことは今でも活(い)きていて。食材を卸すにしても、料理人さんとの会話が違ってくるんです。そういう意味では、今も料理には興味を持ち続けてますね」
尚起さんが「仲里食肉」を継いだのは、今から10年前の春。市場近くのビルを精肉工場と卸販売に使いつつ、公設市場内に小売の店舗を構えていた。ただ、生肉工場から公設市場まで肉を運ぶだけでもかなりの重労働で、建て替え工事を機に、公設市場の店舗は閉じる道を選んだ。ただ、店舗を統合してみると、商品を陳列できる場所も少なく、不便なところが多かった。何より、車でのアクセスに難があった。
「コロナ前だと、平均で1日40軒から60軒ぐらい配達があったんです。あの場所からだと、浮島通りに出るしかなくて、そこが渋滞すると抜けられなくなる。買いにきてくださるお客さんからしても、そもそも地理自体がわからないっていうのがリアルなところだと思うんです。今後のことも考えて、このタイミングで新しい場所に移転することにしたんです」
迷路のような路地
2月14日、「仲里食肉」は新しい店舗でスタートを切った。機材が間に合わず、現在は卸部門だけの営業だが、近いうちに小売部門としても営業を始めるつもりだという。
移転先は壺屋1丁目。浮島通りからのうれんプラザにかけての一帯には、古くから卸問屋が軒を連ねている。この界隈(かいわい)は車でのアクセスが比較的良いこともあり、近年は再開発が進み、新しい店舗が増えている。「仲里食肉」もそのひとつだ。
まちぐゎーは迷路のように路地が張り巡らされており、そこに小さなお店が無数に軒を連ねている。車では入り込めない路地を散策するのがまちぐゎー歩きの楽しさではあるけれど、車でのアクセスの悪さは長年の課題でもある。行政による無料駐車場の整備を望む店主も少なくないけれど、一方で「民業圧迫だ」とする声もある。アーケードの外に出て、車が行き交う通りを眺めながら、まちぐゎーの今後に思いを巡らせる。
(ライター・橋本倫史)
はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。
那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。
(2022年2月25日琉球新報掲載)