宮平初子さん「首里の織物」焦土から復興、伝統技法に現代感覚 99歳で死去


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人間国宝の認定祝賀会で談笑する宮平初子さん=1998年8月13日、那覇市のハーバービューホテル

 7日に99歳で死去した宮平初子さんは、琉球王朝貴族の秘伝といわれた首里の織物を沖縄戦の焦土の中から復興させ、その技法・表現の研究を重ねた。首里の織物の7種の技法すべてに精通し、約500年の時を超えて伝わる染織技法を受け継いだ。伝統技法に現代感覚を盛り込んだ優れた作品を発表するなど、高い評価を受けてきた。

 1922年首里に生まれた。女性が集まると着物の話題ばかりだったという幼少期。三つのころからじっと聞いて育った宮平さんは、2008年の本紙インタビューに「小さいころから着物がだーい好きでね」と振り返った。

 県立女子工芸学校に進学した。1939年に卒業後、上京。日本民藝館や柳宗悦、柳悦孝氏の指導を受けて研さんを積み、41年に帰郷。県立女子工芸学校の教師となった。戦後は首里の織物を復興させ、63年に花織の帯を初めて製品化した。

 70年には宮平織物工房を設立。74年には県指定無形文化財「本場首里の織物」の保持者に認定され、保持者団体の代表としても多くの後継者育成に尽力した。70年に日本民藝館展日本民藝館賞、84年に第4回伝統文化ポーラ特賞、98年に県功労賞、2000年に勲四等宝冠章と数々の賞を受賞した。
 (知念征尚)