日米地位協定の拡大解釈で基地外訓練を容認するずさんな対応で、国民、県民の安全よりも、米軍の権利を優先する「米軍ファースト」解釈の地位協定運用だ。基地外訓練の自粛を促す役目を放棄し、むしろ危険な訓練を許す地位協定の拡大解釈だと言える。発言の中身に沖縄大使の立ち位置が透けて見える。
大使が立っているのは、米軍を背に沖縄県民に向かって米軍の権利を主張する立ち位置だ。しかし、沖縄大使に期待されたのは、県民の最前線で米軍と対峙(たいじ)し、県民の不安や不満を米軍に伝え、基地問題を解決する役割のはずだ。だが、歴代沖縄大使は米軍の立場を県民に説明する「駐沖米国大使」にすぎない。
朝鮮有事のさなかにつくられたのが日米安全保障条約と日米行政協定(日米地位協定の前身)で、有事即応体制の中で米軍の行動に対して規制しない、させないために結ばれた。平時において、有事体制で組まれた地位協定をそのまま生かすこと自体がおかしい。有事でもないのに、なぜ危険な訓練を許さないといけないのか。本末転倒の体質が根付いているとしか言いようがない。
官僚たちが誰の側に立って、解釈しているのかが問題だ。交渉相手は米軍であって、国民、県民ではないことを外務省は知るべきだ。占領国が被占領国に対して、強権的に、自国軍の行動自由にできるという時代はもう終わった。領域内において、領域の法に従うという「領域主権論」が国際的な中心となっている。
意識が遅れている外務省の感覚によって、県民、国民の命よりも米軍の訓練が優先してしまう体質ができている。
地位協定そのものが矛盾を抱え、改定要求も出ている。それを金科玉条のごとく守ろうとし、矛盾を解釈によって、ごまかそうとしている。そのことが、どれだけ県民や国民を危険にさらすことになるのか。万が一があったら、誰が責任を取るのか。明確にする必要がある。
(安全保障論)