平和の祈り、世界へ発信誓う チビチリガマ集団自決から77年 遺族会が慰霊祭


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チビチリガマで亡くなった肉親に花や果物、餅を手向け、祈る遺族ら=2日、読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影)

 沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した直後の1945年4月2日に読谷村波平の自然洞窟チビチリガマで、避難した住民83人が犠牲になった「集団自決」(強制集団死)が起きてから2日で77年となった。同日、遺族会による慰霊祭が開かれた。遺族や関係者17人が参加し、肉親の冥福を祈り、後世に平和の尊さを発信しようと誓い合った。

 新型コロナウイルスの影響で、昨年に続き遺族を中心に小規模で実施した。チビチリガマの生存者2人も参列した。

 遺族らは午後1時過ぎに集まり、線香や果物などを手向けた。家族6人で避難し、祖父を亡くした生存者の上原豊子さん(85)=村波平=は時折、声を詰まらせながら「注射を打つために並ぶ人や背中を刺された子どもを見た。私は母の着物を引いて壕を出たが、外には緑が広がり、光が差していて、素晴らしい光景が広がっていた」と振り返った。「生きていることに感謝している。世界が平和になること、それだけを祈っている」と締めくくった。

 母方の祖父母らを亡くした與那覇徳市さん(79)=村渡慶次=は、祭壇に向かって手を合わせ、うちなーぐちで語り掛けた。ウクライナに侵攻したロシアについて触れ「力任せにロシアが侵攻した。平和な世の中を実現したいが私1人では力及ばない。遺族会、祖先の皆さんの力を貸してほしい」と強く祈った。

 遺族会の與那覇徳雄会長(67)=村渡慶次=は、コロナ禍の慰霊祭開催について「不安はあったが、77年を迎え生存者が参加できる機会は少なくなってきた。平和を継承するためにも実際に経験された方の思いを大事にしたい」と話した。