県外出身の「平和の礎」刻銘漏れ400人 県に調査・働き掛け訴え


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南埜安男さんが書き写した「戦没船員名簿」の一部

 沖縄戦などで亡くなった人の名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」。設置から27年が経過した今も追加刻銘される戦没者が後を絶たない。遺骨収集活動に取り組む「沖縄蟻の会」の南埜(みなみの)安男さん(57)=那覇市=は「戦没船員名簿」や対馬丸の船員などの資料を平和の礎のデータベースと照合し、刻銘漏れを見つけた。関係者の協力で一部は追加刻銘の手続きが進んでいるが、多くは申請すらされておらず、全国規模の調査実施や県が申請を広く働き掛けるよう期待する。

 南埜さんは今年に入り国会図書館に「戦没船員名簿」(1972年、戦没船員の碑建立会発行)を取り寄せてもらった。コピーが不可だったため、手書きで沖縄戦関連の戦没者を抽出し、平和の礎のデータベースと照合した。少なくとも37都道県400人の県外出身者の漏れを確認したという。

 平和の礎の刻銘対象は、沖縄県出身者の場合は「満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者」とされる。降伏文書に調印した45年9月7日以降も「県内外において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者」も含まれる。95年の建立当初は23万4183人の名前が刻まれた。

南埜安男さん

 その後、県外、外国出身の対象者については、2003年に刻銘の基本方針が一部変更され、第32軍創設の44年3月22日から戦後約1年以内の戦没者に拡大し、対象区域も県内から南西諸島周辺に広がった。

 追加刻銘の場合は、遺族からの申告や各都道府県から提供される名簿を基に整備されることになっている。県によると、いずれも申請が必要になるという。そのため、県外出身者の刻銘漏れが多いとみられる。また、対馬丸に乗っていた県外出身の船員20人、砲兵12人の漏れも確認し、対馬丸記念会に情報提供した。

 南埜さんは「自分が遺族だったらどう思うか。載せないといけない人たちだ」と指摘し、全国で調査が進むことに期待し、「県側から申請するよう働き掛けてほしい」とも訴えている。 (仲村良太)