prime

幸せに生きるための選択肢<伊是名夏子 100センチの視界から>119


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
満開の桜とともに、娘の七五三の写真を撮りました(撮影・佐藤健介)

 結婚して、子どもを生み、育てることに憧れる女の子はたくさんいるでしょう。しかし障害がある私は、あかちゃんをうみたいと思っても、口にすることはあまりなく、まわりから求められることもありませんでした。障害のある人の妊娠、出産、子育てには、想像しにくく、反対する人も多いからです。否定的な考えを、子どもだった私もうすうす感じ、私が子どもの時に使ったもの、例えば子ども服だったり、おもちゃを、将来自分の子どもが使うことを想像することはありませんでした。

 そんな中、私が成人式の時にオーダーした着物を、娘が七五三で着ることになりました。この着物は、久米島紬(つむぎ)を織っていた祖父の姉が、私のために織ってくれた白い反物を、私の好きな色とデザインで染めたのです。私の宝物の着物を、私のたからものちゃんの娘が着ることになったのです。いろいろな家族の形、生き方があるのが当たり前で、子育てしない人より、する人が素晴らしいとは思わないですが、反対に遭い続けただけに、娘に着物を引き継げたことが嬉しいです。まさかこんな日が来るとは思っていなく、胸がいっぱいです。

 日本では、1948年から優生保護法の下、障害のある人が妊娠できないよう、不妊手術が行われていました。1万6500人以上が、本人には何の手術か知らされることなく、強制的に受けさせられました。10代の男女も数多くいました。子どもを生み、育てることだけが幸せではないですが、生むか生まないかの選択肢、権利を奪い取られたのです。障害のある人は、妊娠、出産、子育てが大変に決まっているのだから、できない方が本人のためでもある、という考え方以上に、障害のある人の命はいらないもの、生み育てることは社会全体の不利益であると決めつけていたのです。1996年に差別的条項を排除して「母体保護法」と名称が改められました。公な不妊手術はなくなりましたが、「障害者は子どもを持つべきではない」という考えはいまだはびこっています。全国9か所で、旧優生保護法の違憲を問う裁判が行われ、大阪と東京では違憲と認められたものの、上告されています。

 障害のある人も子育てをしていいし、サポートがあれば、やりたいことに挑戦できると私は思っています。いろいろな人が自分のやりたいことを形にして、幸せに生きるための選択肢が増えることを願います。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。