「クール」と海外で好反応 沖縄の入れ墨「ハジチ」 手彫りに込めたルーツと歴史へのリスペクト


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衛生管理にも細心の注意を払いながらハジチを施す平敷萌子さん=2021年12月、東京都内(平敷さん提供)

 琉球弧に伝わってきた入れ墨「ハジチ」。その足跡をたどると、苦難や抑圧の時代を生き抜いた琉球の歴史と重なる。だからこそ、ハジチャーの平敷萌子さん(29)=東京都=は敬意を込めて、機械を使わずに一人一人にハジチを手彫りしている。

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 ハジチの歴史は古い。記録が残るのは1534年に冊封正使として琉球王国を訪れた陳侃(ちんかん)が後に著した「使琉球録」にさかのぼる。与那国島から喜界島に至る琉球弧、台湾にもあった。その意味は成人や結婚などの通過儀礼やニライカナイへの通行手形などと捉えられた。

 一方、琉球を併合した日本政府は1899年に「入墨禁止令」を出した。「風俗改良運動」と言われる沖縄を日本と同化させるために行われた沖縄独特の風俗・慣習の改廃運動の一環で、ハジチなどが禁止された。当時の琉球新報も片棒を担いだ。

 戦後、禁止令は解除されたが「野蛮な風俗」との烙印は消えず、新たにハジチを入れる人はほとんどいなくなった。1990年代のハジチを記録した写真に残るのは高齢女性ばかり。人々にはそんな過去への哀愁だけがイメージとして残った。

 だが、平敷さんの感覚は全く異なった。

 「クール。いいね」。留学先のドイツで出会った友人にいちちぶしのハジチのことを聞かれ、沖縄伝統のタトゥーだと説明するとそんな反応が返ってきた。「誇らしかった」と振り返る平敷さん。琉球の女性たちが施していたように、両手いっぱいにハジチを入れたいと思うようになった。

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 帰国すると、ハジチを彫るために大島托さんの下に通った。「自分でもやってみたら」と何気なく言われた。聞けばハジチ専門で入れ墨を施術する人はほとんどいないことを知り、自ら実践することにした。それからは、ハジチを入れてもらいながら技術も学んだ。手彫りの手法「ハンドポーク」も、専門とする半澤環さんから教わった。

 全てのハジチを完成させると、2021年1月に「Hajichi project」としてインスタグラムやツイッターのアカウントを立ち上げ、ハジチを専門に施術するハジチャーとして仕事を始めた。

 インスタではハジチを知ってもらうため、その歴史や意味などについて投稿。専門だった絵の技術を生かし文様などを自筆、過去の資料なども含めて英語と日本語で紹介した。入れ墨は海外では民族のアイデンティティーを示す一つとも捉えられることも相まって、海外のうちなーんちゅも反応するなど注目が集まった。英字情報誌にも取り上げられ、話題になった。

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 これまで平敷さんがハジチを入れたのは50人ほどで、沖縄出身者だけでなく沖縄文化に興味がある県外の人もいる。ただ、やみくもにハジチを広めるようなことはしたくない。「きれいな海だけじゃない沖縄を知る機会にしてほしい。沖縄にリスペクトがある人にだけ彫るようにしている」と思いをはせる。

 今、ハジチに対する禁止令は存在しない。だが、温泉やプールで立ち入りを制限していることもあるなど入れ墨への偏見は根強い。平敷さんの取り組みが受け入れられるのか、新たに根付くのかも分からない。それでも「昔みたいに島を巡りたい」と語る平敷さん。ハジチを彫るため、島々を巡ったかつてのハジチャーに自分を重ねた。

(仲村良太)


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