基地負担の軽減、全国の世論喚起できるか 復帰50年、沖縄県が「建議」提出へ


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米軍普天間飛行場=2021年9月22日午前6時45分、宜野湾市

 米軍普天間飛行場の全面返還合意から26年。沖縄が日本に復帰して50年を迎える今年、基地問題も含めて沖縄への注目が集まる。玉城デニー知事は過重な基地負担の解消を求める「建議」を作成し、日米両政府に送る予定だ。玉城県政が復帰50年の節目に突き付ける異議申し立てが全国世論を喚起する内容になるのか、日本政府がどう受け止めるのかが焦点だ。

 沖縄からの声は、少なからず日米両政府の方針に影響を与えてきた。1996年に県が独自に策定した段階的な基地撤去計画「基地返還アクションプログラム」について、在日米大使館から米本国に報告した資料では「沖縄の提案は引き続き日米両政府に圧力をかける」と記載されていた。

 日米両政府は県独自の計画を意識していたことが分かる。ただ、結果的に県内移設の条件が付けられて県民の要望とかけ離れた計画となった。

 当初に示された普天間の返還時期「5~7年」はとうに経過し、返還を待つ間に事件や事故が繰り返されてきた。

 2013年に日米がまとめた統合計画では22年度以降に返還とされたが、名護市辺野古の移設予定海域で軟弱地盤が見つかり、返還の見通しは立っていない。

 政府の説明でも、これから12年以上掛かるとされ、県は普天間飛行場の早期返還につながらないと反発している。

 政府は普天間飛行場の主な機能を(1)オスプレイなどの運用(2)空中給油機の運用(3)緊急時における航空機の受け入れ―の三つに分けている。(2)は山口県の岩国基地へ移転済み、(3)は福岡県の築城基地と宮崎県の新田原基地への移設を進めているとし、(1)のみを辺野古に移すことで基地負担軽減につながると説明する。

 だが、辺野古新基地には艦船の着岸や弾薬庫との近接など、普天間飛行場にない新たな機能が加わる。

 しかしながら、政府の説明からは抜け落ちている。KC130空中給油機も岩国への移設後、県内に飛来している。

 また、滑走路をV字型にすることで、離着陸ともに海側を飛ぶことになることを強調し、集落上空を飛ばないかのような説明を地元にしている。

 だが、日本政府は米軍の運用に強く関与できない体制となっており、飛行ルールの順守を徹底させられる保障はない。実際、普天間飛行場では設定された場周経路を外れたり、騒音規制措置を守らなかったりする運用が常態化している。
 (明真南斗)