戦時報道の在り方 民衆の災厄、極小化の視点を<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 同じ戦闘でも、どちらの側から見るからで、印象はだいぶ異なってくる。日本のマスメディアの報道は、ウクライナと米国を情報源とするものがほとんどだ。だから大多数の日本人が、そちら側からこの戦争を見ることになる。これはある意味、当然の現象だ。筆者の理解では、同盟には2条からなる掟(おきて)がある。第1条・同盟国が正しい場合、その立場を支持する。第2条・同盟国が間違っている場合も、同盟国を支持する。政治的に日本政府の立場が、ウクライナに武器を提供し軍事顧問を派遣する米国を支持するのは、同盟の掟に基づくもので、日本が独自に情報を収集し、それに対する価値判断を加えた結果ではない。

 筆者は元外交官だが、現在は民間人で日本政府の立場には拘束されていない。また情報に関しては、同盟の掟とは別に、対象に即して冷静に判断すべきと考えている。ウクライナにおける戦争を分析する上で、情報統制が行われていることを前提にロシアの政府系テレビを視聴することが重要と考えている。

 一例を挙げる。13日午後3時(モスクワ時間、日本時間午後9時)からのテレビ「第1チャンネル」(政府系)のニュース番組「ノーボスチ」(ロシア語でニュースの意味)は、ロシア国防省のスポークスマンが、ウクライナ・ドネツク州の港湾都市マリウポリ中心のアゾフ製鉄に籠城しているウクライナ第36海兵師団の1026人が降伏したと述べる会見を報道した(同日、ウクライナ国防省報道官は「情報がない」とコメントした)。投降者のうち、162人が将校、47人が女性兵士であるそうだ。

 動画では白旗を掲げ、両手を挙げたウクライナ兵が投降してくる様子が映されている。製鉄所は激しい戦闘の結果、廃虚のようになっている。悲惨なのが5人に1人くらいの割合で負傷兵がいて、戦友に肩を貸してもらい歩いている様子や、担架で運ばれている様子が描かれている。テレビでは捕虜のインタビューと将校に対する尋問の様子も映されている。捕虜をさらし者にするような報道は、人道上問題だ。

 しかし、そこで語られる弾も尽き、食糧もない状況で、もうこれ以上戦うことができないという声は、ロシア当局に言わされているのではなく、この戦争に駆り出されている民衆の本音と思った。現在、世界の多くの人々が、意識的、もしくは無意識のうちに、自国の方針と自らの考えを一致させている。このような傾向は危険だ。

 沖縄人は、世界のどこで起きている戦争についても、沖縄戦を体験した民衆の立場から考えるべきと思う。マリウポリの様子が、筆者の母親が14歳のときに体験した前田高地での戦いと二重写しになる。ウクライナにおける戦争のわれわれは当事者ではない。筆者はこの戦争に関して、「ロシアの侵略に対して徹底的に戦え」とか「早く降伏すればよい」と言う有識者の発言に強い違和感を覚えている。この戦争の当事者でない者は、もっと抑制的になり、戦争の興奮から距離を置き、どうすればウクライナとロシアの民衆の災厄を極少化できるかを考えた上で発言すべきと考えている。

(作家、元外務省主任分析官)