【東京】日本記者クラブは22日、沖縄の日本復帰50年に合わせた企画を東京都の日本プレスセンタービルで開催し、元外務審議官の田中均氏が講演した。1996年の米軍普天間飛行場の返還合意の発表が、日米安保体制の強化につながる共同宣言の直前だったことについて、「タイミングを計った。沖縄の基地縮小という国政上の大きな課題に取り組み、その上で安保体制を見直すという形を作りたかった」と振り返った。
返還合意から26年がたっても普天間飛行場の返還が実現していないことには「慚愧(ざんき)の念に耐えない」と述べた。事前に沖縄県側と相談して決める必要があったのではないかとの指摘に、「沖縄と相談して普天間返還合意がすんなりできたかは分からない」と話した。
基地削減が進まない理由は複合的だとした上で、「沖縄がもっと積極的に返還跡地の利用計画を作れば動かさなければとなるが、そういう勢いがない」と沖縄に責任を転嫁するような発言もあった。
在沖米海兵隊の実数削減を巡って、元防衛事務次官の秋山昌広氏が「抑止力を落とすという(他国への)誤ったメッセージとなる」として反対したことも紹介。「防衛省に(反対と)言われて強行するつもりはなかった。ただ、その話が死んだわけではない」と述べ、海兵隊の一部のグアム移転計画などにつながっていると強調した。
日本政府に対しては最新の国際情勢を踏まえて改めて防衛体制を見直す必要があるとし、米国との関係強化と並行し、沖縄の過重な基地負担を解消することが必要だと指摘した。 (明真南斗)