沖縄の観光のこれまで、そしてコロナ後へ 沖縄観光コンベンションビューロー会長・下地芳郎氏


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インタビューに答える沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長=13日、那覇市小禄(小川昌宏撮影)

 戦後の沖縄観光は、本土からの慰霊団訪問に端を発する。1975年の沖縄海洋博覧会で観光地としての印象が定着し、以降の入域客数は堅調に伸びた。2000年前後の沖縄ブームがその人気に拍車を掛け、10年代以降は日本の玄関口として多くの外国人が訪れるようになった。18年度に観光客1千万人の大台を記録した一方で、直後のコロナ禍で人々の往来に制限がかかる事態が続き、沖縄観光はかつてない停滞のさなかにある。行政や教育機関などで長年観光に携わり続ける、沖縄観光コンベンションビューロー会長の下地芳郎氏に沖縄が目指す観光の在り方を聞いた。

 戦前の観光は琉球王国という異文化への魅力が出発点だった。復帰後は青い海に焦点が当たったが、1992年の首里城復元で改めて伝統文化を体験できるようになった。2000年の沖縄サミットを経て国際的な観光地を目指す新たなステージに入っている。沖縄の観光は時代時代で変化しながら発展していった。
復帰後は観光が暮らしを支えた。観光は人の移動に伴う消費活動による総合産業だ。航空、交通、宿泊、飲食とあらゆる産業が重なり、観光客が増えることで県経済への波及効果が高まった。

 米中枢同時テロ、新型インフルエンザ、東日本大震災―。沖縄観光はさまざまな危機を経験してきたが、官民が力を合わせて何度も乗り越え、大きく成長してきた。しかし、新型コロナの影響は想定をはるかに超えた。

 沖縄の観光は停滞しているが、その魅力自体が失われたわけではない。ポテンシャルを踏まえた回復への道筋をどう確立するかが問われている。必要なのは、事業者を支え雇用を守る産業政策だ。さらに医療との両立を含む総合政策が極めて重要になっている。

 コロナは人々の生活様式を大きく変えた。観光も従来の取り組みに加えデジタルを活用したサービスの向上に取り組みたい。ビッグデータでニーズに対応し、混雑のない環境に配慮した在り方が求められている。人材育成も重要だ。観光を担う人々の能力を高め、見合った待遇を実現したい。
 長期的には脱炭素への取り組みも求められる。人の移動に伴う環境への負荷は無視できない。現状では、移動手段としての車は県民や観光客に必要だが、いずれは脱却しなければならないだろう。「責任ある観光」という言葉があるが、持続可能な観光の実現へ、県民や観光客が当たり前のこととして協力して取り組まなければならないだろう。 (聞き手・小波津智也、写真・小川昌宏)